2009年2月1日日曜日
今日の想い 49
すました顔をして平穏な日々を送っているようで、その内面にはありとあらゆる感情が沸々と湧き上がり、様々なる想いや思考が口うるさく遣り合っている。社会人としての在り様が枠としてあり、その枠に辛うじて自分をはめ込んではいるものの、いつ爆発するとも知れない火薬庫を内面に抱えているようなもので、それが霊視出来るなら目を逸らさざるを得ないだろうし、自分の内面様相が表象として現れればあまりに汚らしく醜いために存在する事すら嫌になるだろう。地獄を見たければ自分の内面を見ればそれが地獄なのだ。熱存在としての人間ではあるが、太陽的熱に血筋を見る愛の熱は深層に沈み込み、憎しみや欲や恨みや蔑み、あらゆる負の感情の持つ太陽熱の対極にある熱様相を強く強く帯びている。サタンに根を置き悪魔に類するこの熱様相は人間存在を獣以下に貶める。神様を仰ぎ見たいという熱情を含む自我の存在を見出すことが出来ずに、負の熱を帯びたサタンに繋がる自分存在を本質だと思い込んで喜んだり悲しんだりしている。知る事ができず見ることもできないし探そうともしない本質の自我を、どうして認識することが出来るのか。それ故に自我の故郷を目に見える形で現されたのがキリストであり、そして真の父母である。自分に巣食い野放しにしている唯物的論理でキリストを測り、真の父母を何者かと判断することがどうして出来るのだろう。自分という失った自我と引き千切られた魂を見るのであれば、どのようにでも救いを求めるだろう。私が救いの責任を持つ真の父母だと、何処の誰が口にできるだろう。そう宣言することが天宙を翻して余りある真の父母の権威でなくして何だというのか。皮膚に覆われた内面が白日の下に曝される日が来る。自分という存在を、全うな人間と思い込まされていた自分という存在の惨たらしさを、無残にも知る時が来る。人類が泣き喚いて救いを請い真の父母の下に群がる時が必ず来る。真の父母を求めて人類は魂の大移動を始める。
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