2009年4月3日金曜日

今日の想い 69

納得できない要求や指示でありながらも有無を許されずハイと答えなければならないと言う強制。何を言っても無駄だろうし言えば余計に複雑になるので言うべきではないという諦め。組織は上から来るものが絶対で下はそれを受け取るだけと言う決め付け。波風を起こしたくないので当たらず触らずと言う無関心。今の生活を脅かされないように敢えて冒険はしたくないと言う臆病。それらがよどんだ様にたまり場となっている組織に神の霊は働くだろうか。活動は続き生き永らえているようで、実は惰性に身を任せているだけの事に過ぎない。止めるのさえ面倒だと言う精神的怠惰が根底にゆっくりと流れている。身体を動かしそれなりに一日を過ごせばみ旨を歩んでいるような気分になれる。その気分で自分を誤魔化しながら毎日を重ねる。日々を追う毎に誤魔化しが当然のこととしてまかり通る。取り敢えず歩みを止めて、自分の良心に問うてみてはどうだろう。自分の中に築かれたものが本当にあるだろうか。御父母様の在り様が自分の中に培われているだろうか。感情が豊かに溢れ出し、瑞々しい魂の活動を確認するだろうか。それとも他の痛みや喜びをどうでもいいこととして避けて通れる、乾き切った魂になっていないだろうか。喜怒哀楽が胸に踊り表情にも表す、そんな人間らしさをみんなどこで捨てたのだろう。村意識と言う集合魂に繋がれ、仲間外れが怖くて周りを見ながら自分の行動をそれになぞらせる。私であるという感覚を失い周りや周りの兄弟に流されながら自分の自主性さえも投げ出して、そこに御父様の為にだとか為に生きるだとかの意志は生まれようが無い。意志の無いところに責任云々を問うこと自体無意味な事だ。先の者が後になっているとの指摘は我々に向けての教訓だと自覚しながら、御父母様の前に自分の愚かな在り様に対して、どう言い訳を思い描けば次に進む事ができるだろうと思案してみる。

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