2009年4月20日月曜日

浦島太郎 その壱

田舎から出てきて市内の学校に通い始めた。田舎では暗い影の存在がいつも自分に負ぶさってきて、重苦しさと恐怖感に苛まされながら暮らしていた自分は、田舎を出ることでそういったものからの開放を得たような安堵感を覚えていた。本当は開放された訳でも何でもなく、周囲の華やかさに自分を埋めることで暗い存在への意識を逸らしただけの事だったのだが、それでも良かった。意識を逸らせる術を得た事が市内の学校に出たことの大きな収穫だった。町に出て一人暮らしを初め、前日は一睡も出来なかった登校の初日、距離感覚がわからず始業時間の一時間も前に教室に着いてしまい机の横に佇んで教室全体を眺めてみたり二階の窓からの景色に目をやったりしていた。程なく力強い足音が近付いて来る。教室の引き戸を響かせて足を踏み入れ、それまでの静寂を破ったのは自分の推測に反して女生徒だった。本人こそが最初の侵入者だとの思い込みがあったのか、私が視界の中に入ったことに一瞬の驚きは見せたが、物怖じしない笑顔を表情に表し溌剌とした声で挨拶しながら自分の机に足を進めた。肩までのストレートの髪をリズム良く揺らしながら、背筋を伸ばして空気を割り込む姿を見るとも無く追うと、自分の在り様との大きな違いを彼女に見た。彼女を見上げるような、そういった都会的な領域の中に自分が入っていくことで、希望を繋ぐ事ができるような気がした。しかし自分の居場所を求めていく過程で、如何ともしがたい、彼らそのものになる事は出来ない自分であることを認めていかざるを得ない、その事に気付き始める。皆に溶け込みたくて、明るく振舞おうと躍起になって演技する事に疲れを覚え始める頃、一人の友達の誘いを受けて彼の家に赴いた。選択の音楽授業で多くの女生徒の中の僅かな男子生徒として彼と私は在籍していたが、授業のひとつとして音楽発表を生徒それぞれがするようにと先生に言われ、誰にでも話しかける彼は私に声をかけ一緒に演奏しないかと持ち掛けた。演奏題目は決まり彼はピアノ担当、私がボーカルとギター担当でそれぞれに練習して最後に合わせようということで彼の家に来るよう声をかけられた。彼と約束したように、土曜の半ドンが終ると週末のアルバイトで買ったギターを抱えて彼と一緒に宮島線に乗る。駅から降りると閑静な住宅街が広がり、どれも同じような洒落た造りの家が間を置いて並んでいる。整備された住宅路を何度か折れながら暫く歩くとその一つに手招きされた。今思うと決して大きな家では無かったが、田舎のあばら家で育ち、市内に出てからは四畳半一間で下宿している身には、全てが煌びやかだった。自分の母親とは比べ物にならない若さと気品を備えた彼の母親と、大学に通い始めた姉だと紹介された都会的女性に迎えられ、ドキドキしながらその竜宮城へ誘われるままに入っていった。

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