2009年4月21日火曜日

今日の想い 73

泥水を何度もかき回しながら土砂を少しずつ選別し、そう言う過程で砂金が手元に残っていく様に、堕落性という不純物を見分け分別し、自分の本性という神から来るものを選別する為に感情がかき回される必要がある。内面にある感情の海はいろんな表情を見せる。穏やかな凪ぎの時もあればシケの時もある。そぼ降る雨に冷たく打ち沈む時もあれば光が海面を踊り、明るく活気付く時もある。誰も荒れ狂うのを良しとはしないが、それでも沸き立ち湧き溢れる感情を表現することで人間模様は彩られていく。しかし感情に踊らされ、荒れ狂う馬のような魂の活動を主管できないとするなら、自分は自我存在としては確立されていないと言えるだろう。そうは言っても、出来るだけ内面の感情をかき乱されず平静でありたいと敢えてそういう状況を避けるなら、精神的存在として高みを目指しているとは言えない。自分の内面に揺さぶりをかけられてこそ、より高みにとどくことができると言う認識が、今の感情の在り様を甘受するという態度を取る事ができるし、それをばねとし或いはエネルギー材として内的に飛躍することができる。瑞々しい、そして活き活きとした魂の在り様にする為には、喜怒哀楽をしっかり内面で経験したいと意志する必要がある。喜怒哀楽をわざわざ表面に出そうとすれば魂の願いとは別なものになりかねないが、喜びを喜びとしてしっかり味わう、怒りも悲しみもそして楽しみも内面に於いてしっかり受け止め経験し味わう事が大切だ。意識してでもそのようにしている内に自然とそうなってくる。何の変哲も無く一日一日を過ごしていたのが、日々彩りを強くし様々な色合いとなり、本当に楽しく本当に悲しくなってくる。そのように感情豊かになってこそ他への想いや愛が芽生えてくる。為に生きないといけない、愛さないといけないと言う時点でそれは為に生きることでもなければ愛でもない。兄弟達の乾き切った魂が、真の愛に触発されて瑞々しく生気を得る事が出来るように。我々が神霊復活せずにどうして救いを伝えることができるだろうか。

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