2009年4月14日火曜日

経済体制の終焉

資本主義は企業の利益は社員の労働が生んだものでなく資本が生んだものだという観念で、企業の純益の所有権は経営者を含む従業員にはなく株主にある。逆に利益の所有権を従業員即ち労働者にあるとするならそれは共産主義になる。勿論資本が無ければ企業を立ち上げる事はできないので先ず資本ありきとなるが、それがそのまま資本を投資した者が利益の所有者だと言う事はできない。価値論を詮議するなら資本そのものが利益を上げたと言うより、労働により利益を上げ労働にこそ価値があると言う方が分がある。昔はまとまった資本を集めようとすればそれなりの株主がそれなりのまとまった額を拠出した。今のパソコン時代のように小額で好きな時に好きなだけ気軽に投資するのと訳が違う。勿論今の株の売買を投資と言えるのかどうか疑わしいが、かつての投資には大きなリスクが伴った。企業として成功するかどうかが資本投資リターンと不可分の関係にあったが、今の投資は吊り上げて売り抜けると言うように企業として発展しているかどうかは二の次で利鞘を稼げる。資本の分化やリスク計算がパソコンと表計算ソフトで極限まで出来る今、資本主義は既に制度疲労で使えない。資本主義はその一時代の役目を既に終えている。殆どの銀行が不良資産で債務超過になっていても、破産させる事ができない政府は国民に知れ渡らないように簿外供給を銀行に出している。5兆ドル6兆ドルの資金供給を受けている時点で全ての銀行は実質上国有なのだ。今、アメリカの国の在り方は資本主義から社会主義になっている。誰が否定しようとも国がやっていることは国家保護であり国家保有に違いない。問題は銀行が国家保護の下にあるのに企業や世帯は保護の下に無い。投入されている資金は国民の税金であり国民からの借金であるのに、その金で銀行は救うが自分と自分の家庭と生業は救わないと言う時、誰が納得できるだろうか。アメリカは日本のように仕方が無いでしょうと言う言葉は通じない。必ず大爆発する。未だ露呈していない危機的国の在り様を見る時、近い将来のもがき苦しみが見て取れる。底に沈み沈殿されたものが積み重ねられていって、既に表面から見て取れる。過半数の国民がそれに気付くと一変に底を上に上を下にかき回す。そこで始めて神のものかサタンのものかの分別が始まる。かき回されない限り神の所有を取り出すことは出来ない。人類の審判の時を粛々と待っている。

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