2009年4月1日水曜日

霊界考察 2

人間は物質世界感覚世界に没頭しているので、霊界の存在を感覚世界的に捉えようとする。見えて、聞こえて、感じることが前提で、それで始めて存在すると認識する。人に見えないものが見えるだとか天からの音階が聞こえるだとか、そう言った体験が霊界体験だと捉えて自分は霊的に目覚めていないと思うのかも知れないが、感覚的に見えることと霊視は違う事であり耳に聞こえることと霊聴は違う。この世の物差しであの世を計ろうとする事自体が無理なのだ。見えるだとか聞こえるだとか感じるというのは、一方的に外から内側に届けられ受け取る姿勢であり、この地上界は皮一枚隔てた外の印象をひたすら受け取る世界を言う。しかし霊界の原則として受け取るのでなく働きかけることで活動範囲と言う外界が広がっていく世界であり、見えるのでなく見るという働きかける意志が見させ、聞こえてくるのでなく聞くという意志が聞こえさせる。人間という存在は地上界に生きながら霊界をも生きている。感覚にしろ何にしろ受け取る事だけに没頭するなら暗い霊界の中で生きているのであり、明るい霊界で活動範囲を広げていく為には能動的に働きかける意志を持ち、全ての対象に関わっていく必要がある。為に生きると言う意味も、為に生きようとすれば魂を熱く熱くしながら、対象に強く強く働きかける必要がある。より関わる事でより見えてくるものがある。それは一つの霊的活動範囲を広げた事になる。感覚として受け取るものと、自分から働き関わる事で培うものとの違いをはっきりと認識できれば、地上にありながら霊界への参入、霊界への働きかけも果たしていくことができる。

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