2009年4月23日木曜日

今日の想い 74

霊界が働き、天運が我々と共にある。そういう言い方を責任者もするし、我々も何の疑いも無くその言葉を受け取る。しかし責任者も我々もその言葉の本当の意味する事柄を理解しているとは言えない。奇跡的な出来事を期待していないだろうか。どこからかお金が降って湧いてくるような、現実的とは言えない感覚を未だに持っていないだろうか。天が共にあると言いながら状況を楽観視して手を付ける事と、無責任との違いは何だろうか。霊界が働くからと言って、良き心を持てば知らない内に財物や食べ物が霊界の配慮で届けられる等と言う傘地蔵信仰を信じている兄弟はいないだろう。この地上で生きる為には肉体を使いそれなりのプロセスを踏まない限り糧を得る事は出来ない。そういった理解はありながら、願われる金額が自分が把握できる額を超えたり要求される事柄が自分の度量を超えると、自分を超える力が働いて出来るのだと責任者も大風呂敷を広げ、自分も出来るような気がしてきたりする。それは信仰ではなく妄信に過ぎない。それが見えず地に足が着かない状態で今まで歩んできた。いい加減目が覚めてもいい頃ではないだろうか。それは霊界認識の誤りだ。盲信という目を曇らす霊に主管されていると言っても言い過ぎではないと思う。地上界に於いて外界に働きかけるのはあくまで肉体を持った人間であり、肉体を主管し動かす内面の在り様次第で外界に働きかける知恵も力も備わってくる。知恵と力が備わらない限りどれほど他力を願おうとも外界に働きかけることは出来ない。霊界は自分の内面に働く。真の父母の在り様が自我に根付く。神霊存在として自我に繋がる意志や叡智が魂を大きくする。魂の活動としての意志や知性で外界に働きかける。働きかけ投入するに応じて実りである結果がもたらされる。霊界は自分を跳び越して外界に作用することは有り得ない。霊界はあくまで自分に働く。内面に届けられるものを通して成長しているかどうか、昨日より今日、去年より今年と言う風に成長が認識できないのであれば、真の父母に繋がる運勢を拒絶している。自我としての在り様に神は働き霊界は働く。自分を超えて働くほどに自分という存在を無視されてはいない。

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