2009年4月28日火曜日

宇宙存在

目に映るもの、我々の前に起こる事柄、更に社会的な事や経済的な事であれ何であれ、我々を取り巻く環境全ては背後に霊的内的な原因がありその結果としての現れに過ぎない。目の前に起こる事柄に対して一喜一憂させられるのが人間存在であるけれど、自分が原因となって現れた結果としての態度を、起こりえた事柄に対して示さなければならない。自分を取り巻く環境圏に不平不満を示すことは環境圏を結果として認識してはいない。不当な仕打ちを受けていると言う被害者意識は、置かれている環境に対して自分に起因する原因を見ようとする意志を排除している。他の誰かや何物かに責任を転嫁していると言う事だ。結果の世界に我々は生きているけれど、同時に新たな原因を創り出してもいる。今を生きているという意味は、過去の内的霊的在り様の結果を受け入れ、未来の環境の種を内的霊的在り様を通して撒いていると言える。その認識をどの程度持つ事ができるかが、自分の人生を左右する。要するに自分が主体となり自分が主管する生を生きることが出来るし、自我を戴いた自分という存在は神様からそのように独立した自由な自我存在として創造されている。であればこそ自分としての夢を持ち理想を備え、その環境づくりを内的霊的なツールを用いながら創造している。神様が大宇宙を創造され、また今尚創造過程にあるように、自我を備えた人間それぞれが自分という宇宙を創造している。神様から戴いた人間としての魂の活動を通しながら、神様から届く内的霊的エネルギーを活力としながら、或いは隣り合った宇宙である隣人との内的霊的授受作用を為しながら、自分や家庭という太陽系宇宙を創造し社会としての銀河系宇宙を創造し、神様を大局自我として大宇宙創造に加担している。夢を持ち理想を目指す人間それぞれの意志こそ宇宙進化に寄与する。み言をして人間理想が我々の前に示され、自分の中でその理想願望が活き活きと息づき、理想実体として真の父母を自分の将来像として仰ぎ見ながらその高みを目指す。その理想に繋がる一つ一つの夢、その実現への衝動こそ生きていることの実感だろう。

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