2009年11月22日日曜日

カラス

夕暮れ時におびただしいカラスの群れが木々を渡っていく。枝と言う枝にびっしりと羽根を休め、高い位置にある枝が折れるほどにたわむのも全く意に介し無い。群れてはいるけれど統一的な行動を取っているわけではないし、お互いにつつき合いちょっかいを出しながら、己が本能の儘に行動し忍耐強さに欠けて落ち着きがまるで無い。この種族を取り仕切る霊的存在は神様に取ってどういう存在なのだろうかと問わずにはいられない。チンピラが群れるのと同じものをカラスの群れに見るようで、、喉元を締め上げたような声を響かせ、闇の迫る大空にうごめいて、更に黒く暗く天を覆いつくす光景を見ながら気持ちの良い感情を覚えている者はいないだろう。子供の頃、空の高い位置を夕日に向かって一直線に飛んでいくカラスを覚えているけれど、それとは違う存在なのだろうか。たまに早く起きて車を走らせると、闇が薄くなりかけ朝日がまだ照らさない頃合に、タイヤにつぶされたリスなどの小動物に群がるカラスを見かける。鋭い口ばしで腹を割き、内臓をついばんでいる様子で、車で直ぐ傍を通り抜けても全く物怖じせず、首をもたげた口ばしに細いハラワタが垂れたりしている。イスラム圏でのイエス様の言い伝えの中にこんなのがある。イエス様が弟子達と道を歩いていると犬の死骸に出くわし、弟子達は皆腐った死体に目を背けたが、イエス様は犬の死骸の美しい歯に感嘆されたと言う話だ。要するに自分の内面にあるが故にそれに相対してしまうと言う、相対基準の話だ。闇が迫る大空に舞うカラスや、ハラワタをついばみゴミ箱をあさるカラスを目にする時、忌み嫌う感情を覚えるけれど、それは自分の中にある堕落本性から来るものかも知れないし、イエス様の様にそこに見出すべき美や知恵に相対することができないだけかも知れない。

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