2009年11月8日日曜日
今を考える
本部があって現場がある、と言う取り決めが責任者の中に生きている以上、現場サイドからどんなに意見を吸い上げても変わることは無いだろう。み旨の為の方便としてビジネスの仕組みを使っている、と言う少数の認識を横に置いて、ビジネスはビジネスでありそれを成功させることでみ旨に貢献できるという認識が圧倒的に多いだろう。それ故にこの世に追いつけ追い越せと尻を叩き、売上と利益を追求する。外的な結果のみを神が取ってくれるのだから結果を残せないならみ旨とは関係ないという感覚だ。しかしこの不況の中で結果を残すのは至難の業だ。利益として残るものでしか貢献できないと認識している者に取って今の状況では存在する意味は無いだろう。それでも今ある位置に居続けるのであればその認識を変える必要がある。結果至上主義の旗を降ろさない限り存在する基盤を失うことになる。自分や組織に実力が備わっているから今までの結果を残すことが出来たと思っているが、実は出るべくして出た結果であり、自分が実力をつけてきたが故に結果を出せた様に思えるかもしれないが、それですら目に見えない天の計らいがそうさせたのだ。そう思えれば本来はもっと内外の結果を願われていたのではないかと言う事に気付く。そこからが意識を備えた者の本当の出発だろう。今の状況を責任者も現場もそして自分自身も皆一様に憂えているけれど、本当の気付きを得る大きな祝福が今なのだと、宇宙的観点に立てば言うことができる。今まで築いてきたと思われる体制や仕組みを、この混沌期に全部否定されながら本物が芽生えてくる。それはみ旨を標榜する我々も同じだ。同じように全てを否定される。その混沌期にいち早く新しい芽生えを見ることができた者が新しい世界を制するに違いない。しかしながら芽生えを確認するまではまだまだ混沌の中に翻弄されなければならない。翻弄されながら上手く行っていた時には気付かなかった背後の導きや護りに気付きながら、悔い改めや感謝を差し出す宗教的人間性を掘り起こす歩みを歩ませて頂いている。
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