2009年11月11日水曜日

今日の想い 118

今の私の知り得ない多くの叡智があり、神様や霊的存在の計り知れない心情の中に自分は生かされて歩んでいる。それを理解せずに生きることは、例えるなら目を閉じ耳をふさいで生きることと同じだ。自分が自分として落ち着く気分の中から周囲を見回し判断しているけれど、それがどれ程、拙くも幼いものであるかを知らなければならないだろう。起こりえる事柄を自分の狭義な思考で捉え、自分の内面の僅かな部分にのみ感情を覚え、自己中心的なもの以上の意志を働かせることは無い。自分と言う存在は自由という言葉を持ってはいない。自由と言う本来の意味を飲み込めずに、見えない呪縛をかけたまま一生を終えるなら、生かして頂いている存在に対してどれ程申し訳ない立場かわからない。人間は睡眠というへその緒を通して大宇宙の霊の世界への限られた接触を行っているけれど、今日一日の経験を受け取りながら何ら変わらないいつもの日常としてしか受け取ることしかできないのなら、そして新しい魂の学びを期待もせず要求もしないのなら、大宇宙からの新たな活力も受け取ることは無い。願うからそれに応えようとするのが天の道理であることを思えば、期待感情を備えれば備えるほどマイナス極はより強くなり、プラス極の霊界から受け取るものは多くなる。魂の成長に対して、どのようなことがあっても諦めの姿勢を取るべきではない。一つの芸術作品を前にして、隣の人が涙を流し感動を覚えているなら、自分がどうして白々しい乾いた反応しか取ることができず、隣の人を超える魂の在り様になれないのかを寂しくも思い憤りを感じるべきなのだ。八方塞の状況に諦めの態度を取るのではなく、自分が知らない高次の状況把握があり想像的な知恵があるにも拘らず、捉えることが出来ない自分の器の小ささを知って、祈り倒してでも叡智の欠片を要求すべきなのだ。御父母様に対して息子であり娘であると言われながら父母として慕い慕われるものを実感として受け取れないなら、談判し脅してでも慕う意志を強く強く差し出すべきなのだ。真の父母の魂の在り様と言う、次元の違う知情意の世界へ向かうとき、大気圏を越える決意を差し出す必要がある。絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準と一つになった者が大気圏を越えて大宇宙に飛び出し、天の叡智と天の心情を受け取ることができる。

0 件のコメント: