2009年11月12日木曜日

THIS IS IT

御父様も一言触れておられるし、話の種くらいにはなるだろうと思ってMJの映画を見に行った。ロンドンツアーのリハーサル風景を繋いだものだという前説は情報として知っていたし、亡くなったMJを偲ぶファンの為の映画だと言うのはその通りだけれど、映像を受け取りながらそれだけの私の態度では収まり切らない、深い内容が含まれていることに除除に気付いていった。彼の音楽に差ほど興味を示さない私は、整形だの不純行為だのというマスコミが好んで扱う事柄しか知らなかったし、彼には彼の運命があると思いながらも、決してそれが私に取って好意的に受け取れるものでは無かった。スリラーに代表されるように悪霊が表現されたものだという捉え方は、普通の食口なら当然の捉え方だろう。しかしそう言った要素があるのも事実だろうが、何事にもそして何人に対しても、悪だ善だ、神だサタンだと簡単にすみ分けできるものではないだろう。彼は生まれ備わった天分もあるのだろうが、小さい頃から叩き上げられた歌とダンスに完璧ともいえる技術とセンスが備わっている。そしてそこに歌と踊りの神が宿っている。彼に対する好き嫌いに係わらず、それを見てとることは容易だ。完璧な、しかし自然体のダンスを自分の用具として使いながら、ダンスと歌そのものを披露するのではなく、それを使って何を届けるかを彼ははっきりと認識していた。それはリハーサル風景を繋いだ映像だけでもしっかりと伝わってくる。微細なこと一つ一つに神経を配り、繊細さに繊細さを重ねながら、ステージ全体、或いはワンコーラスを通して語りたいもの、そして一瞬一瞬を断片的に受け取ったとしても届くものがあると言えるほどに繊細さを備えている。優しさであり温かみを微細な全ての音とリズムに、そしてそれを忠実に表現した身体の動きにも込められている。そうして届けられる優しさと温かみを映像を通しながら受け取って、自分は知らない間に涙を流していた。彼は全ての返事にILOVEYOUと応え、全ての指示にGODBLESSYOUと付け加える。愛を与えることがステージに立つ意味だと言うこと、その為に全てのパフォーマー、全ての関係者が愛を与える存在になるよう、MJ自身が彼らに愛を与えようとしている。リハーサルの場であるにも拘らず、愛に溢れたその場に私は同化したい程だった。み言を受けて真の愛を伝える立場の私は、謙虚に頭を下げざるを得なかった。最後にパフォーマーや関係者の字幕が流れながらMJのバラードが流れてくる。揺らぎのある細い高音がMJの喉を通して紡ぎ出される。彼は一つの使命があった。その使命に精一杯生きた結論が、その歌の中に流れている。愁いのある響きに、大切に受け取らなければ壊れそうなそのメロディーに、MJでなければ表現できない愛の形が流れている。

0 件のコメント: