2010年4月6日火曜日

今日の想い 160

今日は80度を超える初夏の陽気だった。ここ一週間の間に気温は一気に上がり、そういえば今年はまだ桜を間近で見ていないことに気付いた。しかし通りに咲いている桜は既に散っており、アパートの中庭はどうかとは思ったが、案の定そこの桜も八割がた散っていた。数日前の強い風に散り落ちて寄せ集められた花びらが縁石の辺りに積まれている。外は春爛漫の様相だったろうけれど、心配事という暗雲が私の内界を覆い、明らかに外界とは極端な違いを呈していた。波乱万丈の御父様の生涯に思いを馳せれば、六度にわたる牢獄生活は苦難の頂点であるけれども、いつもサタンのヤイバを喉元に押し付けられながら、次から次へと降りかかる多くの心配事を茨の束でも抱かれるように抱えて来られたはずだ。本然のアダムであれば堕落人間のように憂いや心配事などは全く無いと言えるだろうか。勝利された御父様であられるとしても愛されるが故の憂いや心配事は抱えておられるはずだ。この暗雲に覆われて何とも真綿で首を絞められるような内的状況が続くとしても、御父様の味わって来られた想いに比べれば屁でもないだろう。私の晴れない心は心で事実と認めるとして、それを凌駕する高次の精神を備えることで自らを主管すべきだろう。春爛漫の様相から突然の嵐が襲うとも、一度咲いた花々は風雨に曝されながらも花びらを閉じることなく燐として咲き続ける。可憐な花々であっても暗雲の向こうにある青い天を望みながら健気に咲き続ける。この小さな花ひとつの精神さえこの私が学ぶことができれば、この些細な取るに足りない心配事を凌駕できる。私は御父様の息子であり御父様を慕い侍っている。慕い侍ることで全てを相続されようとしている。その事実を何度も何度も自分に言い聞かせながら、暗雲の向こうを臨み見る力を備えていく。

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