2010年4月14日水曜日

春の雨に想う

春の雨は暖かい。傘を忘れて飛び出したけれど、大地を湿らすにはちょうど良い雨加減で身体が濡れても一向に気にはならない。木々の若葉がこの雨で鮮やかさを増して生育を増すように、私もこの雨に湿らされて新しい魂の芽を吹き出す。冬支度を誘う秋雨の冷たさと違い、春の雨は優しいぬくもりで私と万物を包み込む、言うなら地球生命の羊水だ。春と言う地球の胎の中で、息を吹き返したあらゆる生命が成長を促される。春の雨に濡れながら母の胎の記憶が蘇ってくる。母の胎の中で地上生の準備を為し、四肢を初めとするあらゆる器官を贈られながら、何の憂いも陰りも無く、地上への期待を四肢に詰め希望一色の時期を過ごした。ちょうど人間創造の出発点からアダムとエバとして実体化される過程を辿るように、母の胎内という宇宙で私の創造が為されていった。春と言う地球生命の胎内で、摂理に貢献できる内的成長と内的創造を、若葉が生い茂る外界に合わせて私の中で行われているだろうか。多くの試練を掻い潜りながら、苦難が遠ざかることのみに心が向かうなら試練の目的に沿うてはいない。火炉に放り込まれ、槌で叩かれて耐えながらもその状況下で自分の内面に芽生えるものを見るのでなければ、鉄の塊は塊のままで鋭い刀に変容できない。試練に真っ向から立ち向かいながら、苦難の全てを嘗め尽くす決意と覚悟を供えた分だけ、私が内的霊的に大きく飛翔できるものを受け取ることができる。春の雨の優しいぬくもりに包まれながら、試練の只中で傷つけられた霊的身体を癒し、試練を超えて勝ち取った翼を大きく広げて羽ばたいてみる。2013年までの期間を過去の流れのままに流されるなら、それは御父様に対する背信だ。成約聖徒の名を戴いた群れであるなら、最後のこの期間に果たすべき使命と責任を悟り、全うする為の新しい翼を用意しなければ御父様について行くことはできないだろう。

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