2010年4月11日日曜日

夜と昼

夜があって昼があり、夜が先で昼が後に続く。昼夜ではなく夜昼だと何度も何度も語られるように、今日一日に地上で展開される事柄は、夜の内に整えられている。鏡を前にして私が映し出され、映し出された私を見ているように、地上に於いて光や音や触感を通じて映りこんだものは、夜に於ける本質の活動が地上的に表されたものだ。地上的昼の活動を制する為には、夜の活動を制する必要がある。夜をいかに準備するかで昼の歩みを主管できる。地上人間として生を受けた私という存在は、ある意味私が属する血統圏が霊界にもたらした実質を、実りとしての私と言う地上存在に映されて生きている。即ち夜に当たる霊界にもたらしたものが昼に当たる私と言う地上人間として地上化されて表れている。良し悪しに係わらず因縁とかカルマとか言われる蕩減的に受け取ったものが地上の私に表れている。だからひとそれぞれ、ある程度の背景はすでに決められ整えられて地上に生を受ける。血統に於いても霊界地上界という夜昼を繋いで私の代まで到ったように、個人生に於いても夜と昼を繋いで人生を生きている。夜を如何に準備するかで昼の歩みは決められる。今日一日の歩みを実り多いものとする為には、夜の準備が十分に為される必要がある。しかし夜の準備は意識圏に於いてではなく無意識圏でなされる。意識が到達できる境界の向こう側、即ち彼岸という無意識圏で準備が為される。境界を越えて影響を及ぼすものは愛の衝動であり心情だ。一日の歩みを終えて眠りに付く時が明日の出発点であり、眠りに入ったとき天使を通じながら霊界へ今日の愛と心情の実りをもたらし、それ以上の実りをもたらす為に明日への活力と方向性を受け取る。一日の歩みを振り返りながら、どんな小さなものでも体験の中に心情に繋がるものとして受け取り、愛の衝動に繋がる兆しが見つかるなら、その心情の芽、愛の芽を大きく育てたい願いを祈りで供えれば、必ず無意識圏に届いてその為の力を天使から霊界で受け取る。その力と願いの方向性が昼の歩みという意識圏に表れる。その積み重ねこそ主管的人生であって、堕落的流れに流される人生とは大きく異なる。

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