2010年4月29日木曜日

今日の想い 166

光る川面だけを見れば、時間の流れと状況の変化は感じ取れない。しかし印象とは裏腹に、一瞬として同じ水が、見つめる川面の底に留まる事はない。時折風に舞う新緑を目にしながら、自然の中に季節の移ろいは感じても、留まることのない大気の流れを認識してはいない。目に映るもののみに頼って生活することに慣れているけれど、それがどれほど限られたものであるかを知るべきだ。大きな流れと変化に生きている実情を悟らずに、今の自分に固着して生きようにも、流れと変化に逆らうことは翻弄されて自滅しかねない。泳ぎを覚えてこそ水に溺れることがないように、魂が流れと変化に翻弄されて溺れないように内的霊的な泳ぎを学ばなければ、終末の大変化を泳ぎきることはできない。水に逆らって、溺れまいともがけばもがくほど沈んでいくように、如何なる試練も、否定して逃げようとすればするほど試練に打ちのめされて沈んでいく。試練は受けるべくして受けるものだと素直に受け止めることだ。水が体を浮かせるように、試練が魂を持ち上げてくれる。水位が上がれば自然と体も持ち上がるように、試練が私を成長させてくれる。試練なくして高次の世界に入っていくことはできないし、神様にまみえることはできない。大気という海の底こそ地上世界だ。一気圧の大気海の底で堕落社会を築き上げて住んでいる。人類がこの海底の苦界から抜け出して創造理想の新しい世界に向けて出発する為には、地上的物質的禊(みそぎ)が為されるだろう。一度は大気海の底を堕落的なものから一掃する為の地上界底上げの禊が為される。具体的なことを言えば海面水位が上昇するとか陸地が陥没していくとかが起こり得る。どちらにしろ人類はある程度の標高地への移動を迫られるに違いない。御父様が堕落的垣根を撤廃されて真の愛による平準化を霊界に於いて為された。霊界で為されたことは地上的にも為される。御父様の勝利された内容が、食口という特定の内なる世界に留まり、半永久的に人類救援の摂理を続けなければならないのなら、それを勝利とは誰も言えないだろう。御父様の歴史的天宙的勝利は誰の目にも明らかな形で示される時が来る。霊界が主体であり地上界はその鏡だからだ。

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