2010年4月19日月曜日

今日の想い 164

私は男性であるから、御父様に対して息子が父親に向ける情は供えることができるけれど、新婦として御父様を慕う情は女性でしか供えることはできない。男性として御父様に侍ろうとするなら息子が親を思う情を中心とするのはその通りだけれど、プラスの御父様に対してマイナスの女性がより情的に引き合うのは当然のことだ。本然のアダムを戴いた地上で相対位置に立てる女性の役割は非情に大きい。今まで集められた日本の修練会を見れば女性中心の修練会の方が多いし、女性主体の活動の方が多い。勿論母の国日本が負ってきたものも大きい。原理的に言うなら本然のアダムと心情的に一つになった女性を相対者として迎え、夫婦となることで男性は女性から御父様から流れる心情を受け取ると言うことになるだろうか。だから女性が御父様を慕い、願いに応えたいという想いが強ければ強いほど、家庭に流れ込む真の愛も強いに違いない。男性は天使長の位置にあるから、聖酒式の順番に表されるように女性によって産みかえられる。産みかえられて御父様の非嫡子であるけれど息子と言う立場に立てる。御父様から祝福を受け相対者を与えられたという本質的意味は、私は産みかえられて御父様の息子となったと言う意味だ。そのように祝福結婚に於いては相対者は妻以上の内的霊的意味合いがある。仲良くするに越したことはないけれど、どれほど表面的に合わないとしてもこの相対者によって御父様の血統圏に繋がれた自分であるという認識が根底になければならない。家庭を持ち時を重ねれば重ねるほどに、女性は家庭に閉じこもり内向きになるのではなく、御父様を慕う想いを益々強くしながら、御父様を恋い慕う心情で夫を包み込み家庭を包み込むことだ。白髪になろうが皺が増えようが恋する女性であってこそ家庭に愛の花が咲くのだ。夫は自分が産み変えた御父様の息子なのだ。

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