2010年4月22日木曜日

今日の想い 165

御父様、御父様と、何千万遍口にしたとしても、御父様という本当の意味を私の中で響かせているだろうか。御父様という概念を私は本当に持っているだろうか。みんなが小さい頃、親をどう呼んでいたか知らないが、とうちゃんかあちゃんと呼んでいた時分に、口に出した時に心に触れて響いた感情を思い出したらいい。初めて親元を離れて、夕暮れ時に寂しさが内面に広がると、親に対する深い心の依存を知るようになる。そういった時に呼び求める親父やお袋への感情を思い出したらいい。御父様と口に出す時、お父様に対する感情はそれ以上だと言えるだろうか。感情が伴わないなら御父様という言葉を無駄に唱えている。まだ幾らか感情が伴う分、不遜であるとしても父ちゃんとか親父とか、昔親を呼んでいた方法で呼んだほうがまだいい。御父様と言う言い方に慣れてしまっているけれど、親父と呼んでいるのと変わりは無い。変わりは無いけれど親父と呼ぶほどの感情は伴ってはいない。私の親父なんだという感情を御父様という言葉に吹き込む。自分一人で背負って苦しい時、何度も何度も御写真を抱きながらアボジアボジと涙を流した。御写真の御父様は微笑んでおられる。微笑む御父様は今この瞬間は私の御父様だ。おやじと呼びながら私は号泣する。号泣しながらも御父様が私の重荷を取り払い背中をさすって下さるのを感じている。私がどんな状況にあろうと、どうなろうと、御父様のこの微笑だけが私に取っては全てだ。御父様の微笑みに裏打ちされた子としての私への信頼で、私は死を超えることができる。

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