2010年4月24日土曜日

昇華を考える

人間は堕落してしまい、産まれるのも神様と関係がなく生きるのも神様と関係がなく死ぬのも神様と関係が無くなってしまった。堕落以来、気の遠くなるような年月を費やして人間と神様との関係を繋ぐ為に復帰の道を尋ねて来たが、本然のアダムという原型を地上に迎えない限り、復帰の道の峠を越えて神様と関係を繋ぐ領域への門を開き進むことはできない。どれほどもがいてもサタンと関係して生き、サタンと関係して死に、そしてサタンと関係して産まれてくる。人類が真の父母を戴いた意味はサタンの因縁圏から解き放たれることだ。個人が解き放たれ家庭が解き放たれ、氏族が民族が全てが解き放たれる。産まれるという概念が変わり、生きると言う概念が変り、死ぬと言う概念が変わる。思い込みの罠にはまっているそれらの概念を否定して捨てない限り、御父様が持っておられる概念を受け取ることは出来ない。今までの死に対する概念からすれば死は死でなくなる。為に生きてこそ生きていると言えるように、死は消えて無くなることではなく与えることの最上級だろう。主体対象関係に於いて為に存在してこそ存在を認められるように、与えることの最上級である死を持って存在は高い次元に昇華する。存在が高次の存在になる。昇華式の祝福は御父様の死の概念を受け取り、新しい死の概念、それはもはや死とは言えない昇華という概念で生まれ変わった宇宙に高次の存在となって飛翔する。御父様の言葉で、御父様の概念で、宇宙も私も地球も人類も再創造されて生まれ変わる。信じて行動することで御父様の概念が私の概念となる。

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