2010年4月11日日曜日

今日の想い 162

日中は汗ばむほどで上着はもう必要無い。Tシャツ姿や薄着で街を歩く人々も多くなり開放的な時期を迎える。冬の間に地中で熟成を為しながら蓄えられたエネルギーが、一度に芽吹いた木々の葉の緑となって地上を覆う。上着を脱いで身体を解放するように、青葉茂れる季節に心をも開きながら、今の時期の新鮮なエネルギーを私も受け取ることができるだろうか。授受作用の原則から言えば、受け取ることを期待する前に与える存在となるべきだ。己が使命に対して決意と覚悟を備えるべきだ。そうであればこそ自然とエネルギーは吸収される。低気圧の状態であればこそ高気圧の大気が自ずと流れ込む。自分の中にエネルギーが吸収されないのであれば、与える存在モードにはなっていないということだ。決意と覚悟が備わっていないということだ。御父様の御心情、天情に立てない私と言う存在が醜くもあり惨めでもあり、申し訳なくて仕方が無い。どんな試練が迫ろうとも、天命に対して背筋を伸ばし顔を上げ、目を見開いて試練の及びに揺らぐことの無い私を確立したいのに、これ程の年数を重ねながらも未だに我が身可愛さから抜けきれずに揺れ動く私がいる。御父様の御袖にしがみついてでも、生死を超えて付いていきたい私を一方で自覚しながら、一方ではこの世の道理に反することを恐れている。この世の法を恐れこの世の視線を恐れている。その矛盾性の内包で魂は引き裂かれる。我が身可愛さという名の執着が、積み上げてきたものをご破算にする。優柔不断な子が父の強烈な叱咤に目が覚めるように、分別する力としての霊を何処かで受け取れるはずだ。一歩後退の今日の歩みを、一生懸命噛み砕いて消化しようと試みながら、身動きできない霊的縛りを溶解して解放できる、化学反応的み言が何処かに在るはずだ。一瞬一瞬に於いて決意と覚悟を差し出さなければ、み言はみ言としての本当の光を私に放つことは無い。決意と覚悟を備えることで、み言は私の魂に化学反応を起こす。

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