2010年4月29日木曜日

朝の祈り

朝には今日一日に対する希望に胸を膨らませ、与える喜びで満たされる気分を期待する。与えて為に生きる一日であれば御父様に会える。御父様の心情の一欠けらを受け取ることが出来る。受け取った心情の一つ一つを積み重ねることで親子の因縁は築かれる。この目を通し、光を媒体として映りこむ様々な存在、出会う人達の動きや表情、全ての映像の中に神様から流れてくるものが見出されるように。この耳に聞こえる風のうねりや鳥の歌声、出会う人達の言葉の響きの中に神様から流れてくるものを聞き取ることができるように。この口を通して投げかける言葉に、与える心を植付けて相手に届けることができるように。自然を賛美し相手を賛美し、訓読で受け取ったみ言の神霊が宿った言霊を投げかけて、対する人の内面に真の父母からくる愛の光が差し込むように。自然と笑みがこぼれ自然と涙が流れ、この堕落世界の中にあっても堕落様相に染まることの無い、荒れ野に咲く一輪のバラとなりゆりとなって真の父母の真の愛の香りを醸し出す私であるように。きのうの憂いを引き摺らず、明日の成り行きを心配することもなく、与えられた今日と言う一日を精誠を尽くして歩みきる。どれほど重たい過去があったとしても、与えられた今日と言う一日で過去の全ての憂いを払拭できる。たとえ明日には打ちのめされて死ぬ定めにあったとしても、とわに生きる価値を今日と言う一日に受け取れる。肉体を持たれて同じ地上に住まわれる御父母様を戴き、御父母様と共に歩む一日は、地獄の底が天国に変わる。奪われた者は奪われた以上に与えられて埋め尽くされ、奪った者はその責めの恐怖を御父様自らが身をもって受け止められる。御父様が愛の権威を取り戻され、真の愛の力を行使される意味は、裁く為ではなく犠牲の限りを尽くされて与える為なのだ。子に与え尽くしたい一心の想いが、御父様の胸のうちの根源にある。その想いを受け止める今日の一日でありますように。

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