2010年11月4日木曜日

冷たい過去がよぎる

単純な物言いを覚えて、家々を回りながら復帰していく。少し立ち止まって考えようとすれば忽ち体は動かなくなるので、馬鹿な風も装いながら歩んだ。しかしただ装っていたつもりがいつの間にかそうなってしまったという笑えない話だ。その当時の生き残りの兄弟にたまに出会ったりするが、戦友のように肩を抱き、目頭を熱くして再会を喜ぶというより、何か顔を見合わせるのが気まずい風で、お互い目を伏せ知らなかった会わなかったことにしておこうとする空気が流れる。前線での歩みは完全な個人個人の戦いで、内的にも外的にも横の繋がりはなかった。それは私と私の班だけが特別そうだったのかも知れない。私が心を閉じたままでいたから周りが冷たく感じたのかも知れない。縦にも横にも愛で繋がれていると教わりながら、前線では愛したことも愛されたこともなかった。そこで学び訓練されたことは、愛されることで行動を起こすのではなく、愛されない位置で、そして無視された位置で意志を働かせ行動することだ。押し出されて今日の自分に強いるノルマや果たすべきことが、どうみ旨に役立ち、どう自分の成長に繋がるのか、思考する予断も許されず尻を叩かれその日の少ない結果を裁かれた。最もわかりやすい単純明快な数字結果を全てとされることで、様々に入り組んだ複雑な内的背景を問うことを否定させる。主君の影で仕える忍びのように、当時の日本食口には自分の中にも外にも冷たいものが流れていた。冷たい血が流れ冷たい空気が流れていた。堕落人間が愛と言う言葉を受けて表象するものが、偽りの愛に起因するものであるなら、愛のない位置、愛を無視された位置というマイナス位置が、私という堕落人間が復帰されるための最初に立つべき原点だったのだろう。夢見が悪いときは決まって車から降ろされる前後の、死にたいほど苦しい場面が再現され、目覚めても暫くトラウマのような鬱状態が続く。

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