2010年11月25日木曜日

O、X の話

理解するのが難しい御父様のお話の中にO、Xの話がある。潮の満ち干きの水の移動がXの形を取りながら為されることを例に挙げられながら、それは地球の呼吸とも言える潮の干満がXの形を取っていると言うことだ。その意味で人間の呼吸もXの形を取っていると言えるのかも知れない。”平和の主人、血統の主人”を見ると、(8の字を描きながら)O とXの基準に全て合わなければならないとあって、8の字を描きながらのXと言うことであれば理解できなくもない。現代の人間は存在する為に意識と無意識の間を行ったり来たりしている。意識とは目覚めている状態を言い無意識とは眠りの状態を言う。目覚めている間は地上生活を意識しているけれど、眠りの間は無意識の状態で霊界に赴いて生きるための生力を受け取っている。地上界と霊界との境界線を接点に、丁度原理で霊人体、肉体を図式説明するように8の字を描きながら存在している。8の字の交わった一点を目覚めの出発点とするなら地上界に時間を追う毎に深く入っていって8の字の最下点が正午の位置、下水平の位置であり、夕刻を経て眠りに着く点が目覚めの出発点と重なってそれから霊界に登っていく。完全な深い睡眠に埋もれれば人間として辿る事が出来る最も高い霊界の位置、即ち上水平の位置で安らぐ。そして目覚めに向けて地上への接点に向かっていく。このように8の字を描きながら存在している。腹中時代は水を呼吸するXの存在であり、肉体人間として空気を呼吸するXの存在であり、人間存在そのものとしても地上界霊界を跨ぐXの存在であり、恐らく全ての存在様相が8の字を描きながらのX存在なのだろうと言うのが私の仮説だ。勿論仮説は仮説であり崩され得る。

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