2010年11月17日水曜日

今日の想い 227

許可が出て久方ぶりに帰って母と話したとき、母は私にこう言った。いい時代に生まれて楽しいこともたくさんあるだろうに、どうして一度しかない青春を犠牲にするのか。母の口からこんな言葉が出てくるとは思っていなかったが、確かに傍目から見ればそう思えるのだろう。青春を謳歌するとはサタンに身を委ねることだと、み言に触れた当初は信じて疑わないし、周りは無知であっても私は生きることの意味を知っているという誇りが私を前進させた。しかし青年期を超え人生のUターンの時期を過ぎると、誇りゆえに押え付けていた感情が頭をもたげてくる。苦労と思えるものは積み重ねてきたけれど、その投資に見合うものを見出せないでいる。そして無いものばかりを数えながら、虚無感がどんよりした空模様のように私を覆う。一生懸命勉強して入学は果たしたものの、目的観を失って五月病にかかった学生と同じだ。しかし本当の信仰路程はそこから始まることを、長く歩んでいる兄弟なら知っている。使命と誇りに突き動かされた期間は信仰の為の基台作りだったことを知っている。九数から十数に入って新たなステージに入ると、受動的信仰観から能動的なものに変化する。私の五感で受け取るものだけでなくあらゆる体験を、私を主体とする対象として捉えることができ、それらはその本質を私の霊の目に表す。今まで見えなかったものが見えてくる。対象ゆえの愛おしさ美しさで私に迫ってくる。今まで外的な事柄を現実として受け取っていたもの以上の現実性を備えて、対象の色彩溢れる感情を体験している。そういう新たな発見は、新たな信仰ステージに依るものだ。絶対信仰への道は新たな次元世界の発見であり、自分からすれば開拓だ。

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