2010年11月16日火曜日

今日の想い 226

全ての存在は形あるもの無いもの、内的なもの外的なものに関わらず、核を中心として回転することで存在を存在足らしめている。あらゆる存在は主体を中心として対象が球体を描くように回転し、その主体はより主体的存在に対して対象となり、そのより主体的存在を中心として回転している。ちょうど月が地球の周りを回転し、地球は太陽の周囲を、そして太陽は銀河系の中心を軸として回転しているように、大きなギアに合わせながらより小さなギアがはめられて大宇宙の中に組み込まれている。私達は堕落した故なのか、そういった存在様相を機械的イメージとしてしか捉えられないけれど、主体と対象の関係は愛でこそ成立しており、素粒子、原子に於ける存在も愛であるように、この大宇宙も愛によって存在している。宇宙の時空間はどの一点をとっても愛に満ち満ちているし愛として時空間は広がっている。宇宙を意識するとき機械的イメージを捨てて、神様の愛で充満している気分を育てるほうが宇宙の本質に合わせようとしているといえる。主体である核を中心とする対象は、主体対象一体としての球体上の円運動軌跡を取りながら存在特有のリズムを取り音色を奏でている。或いは主体と対象が円運動という存在特有の舞を舞っているとも表現できる。それぞれの存在がそうであるように、太陽系としての太陽系交響曲が鳴り響き、宇宙全体として神様を中心とする大宇宙交響曲が演奏されている。しかしながら如何せん堕落したことによる不協和音、不協和リズム、不協和ステップが堕落人間としての様相であり、不変であり永遠を否定する暗黒の死の極致に堕落人間は突き進んできた。私が堕落と関係のない完成したアダムを見出し、対象として回転することで、私は始めて存在としての光を灯す。縦横の神様がひとつになられた天地人真の父母を主体として戴いて真の血統に繋がれ、真の生命の灯が灯り、真の愛に包まれて、そして初めて宇宙の揺りかごの中で憩う。

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