2010年11月10日水曜日

晩秋に想う

天を仰いで青い空を見渡せるほどに、木立の中の見通しはよくなっていた。木々の葉が頭上を被い、日差しは直接地表には届かなかったものが、今は干からびた枯葉が地表を幾重にも覆って、晩秋という祭りの後の寂しさを演出している。数日前の秋雨に打たれても、又その後の強い風に煽られても、それでも契りを固くしたまま木々に残っているものもある。鮮やかだった装いも、身を焦がすだけ焦がして色褪せてしまい、それでも枝にしがみ付いて空の青の向こうに届けるものを準備している。春に芽を出して緑の葉となり、夏に宇宙の愛の陽光を存分に受け取れば、秋には宇宙に届ける霊的果実が残される。秋の彩りこそ木々の精霊達の霊的果実の表れだ。枯葉としてナキガラは落ちて土に溶け込むけれど、光を霊的実りに昇華させた木々の精霊は、宇宙にその実りを届けに行く。私はこの眼で枯葉の舞うのを見ながらも、霊的な眼はしっかりと精霊の生命の光として、蛍が群舞するように宇宙に舞い上がっていくのを見届けなければならない。高台から見渡せる木々に覆われた大地から、精霊達の生命の優しい光がのぼっていく。詮索や疑問の欠片も抱かず、宇宙の摂理への一片丹心な献身が、精霊達の本性だ。あらゆる謀(はかりごと)を複雑に絡ませ、霊的垢をところかまわず振りまいて生きている人間は、彼らに対して顔を上げることすらできないだろう。恥ずかしくて恥ずかしくて消え入るしかないだろう。秋の自然は高次の霊界に深く関与しながら霊的実りをささげている。晩秋の自然のナキガラだけに意識の光を充てるなら、私は秋の本質を受け取ることはない。

0 件のコメント: