2010年11月9日火曜日

今日の想い 223

人間の中に満たされない器がある。それは愛の器だ。満たされない器が魂の渇きとなって、貪る愛を探しながら闇雲に触手を広げようとする。私の周りには偽りの愛がありとあらゆる誘惑の腕を伸ばし、空ろな視線で私をいざなう。耳に心地よいものがあり、目に優しいものがあり、触れるにやわらかいものがある。愛の減少感からくる慰みへの衝動は、手っ取り早いそれらに身を委ねることで満たされ、愛ならぬ愛は私の内側に滑らかに浸透してくる。愛に餓えている。誰もが愛に餓えている。それが偽りであろうが何であろうが、愛なしには生きられない。愛の呼吸なしには生きられない。大気の海の深みの底で、愛とはいえない愛を、感覚人間、感情存在として奪い合い貪りあっている。その場その場の感覚を満たすことに躍起になり、一時的な感情を満足させることだけに一日一日を費やすなら、私は魂を肉界のみに曝しているということだ。精神の存在から肉心の存在に堕ちたままでいる。イエス様の前に悪魔があらわれ、世のすべての国々とその栄華とを見せて、私を拝むならこれらのものを皆あなたにあげましょうと誘惑した。そのように、私の周りに霊が集まって取引を提案する。私は愛の枯渇した自分の魂を全ての漂う霊に曝しながら、そして霊は様々な慰めの対象を私に差し出す。私の慰みを欲望する自己愛としての執着に引き付けられて、霊達が慰めを持ち寄る。その場で取引は成立する。私は悪霊を拝み、悪霊は慰めを差し出す。毎日のありとあらゆる場面で霊との遣り取りがなされている。私の意識下に於いて、或いは目を逸らすことに慣れてしまい無意識に目を逸らして、霊との遣り取りがなされている。満たされない器を偽りの愛と偽りの霊で満たしてきた。満たすことだけに囚われて満たした内容のおぞましさには目を塞いできた。神の宮となるべき人間がおぞましい汚物の器となっている。

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