2013年6月9日日曜日
今日の想い 576
万物の日の朝だ。前日店が閉まる間際に買い揃えた供え物が家の祭壇に並べられている。この地上世界に肉体を戴いて生きていると言うことは、万物の恩恵なしにはあり得ない。さも当然のように、万物からすれば傲慢極まりない態度で口にもし、まといもしているけれども、万物が人間に対して反乱すれば人類はひとたまりもなく、明日への存続すら危ういだろう。サービス業をみ旨とし生業にもしているけれども、どれほど人に対してサービスの付加価値を与えてその代価を受け取るにしても、遣り取りしている万物がなければなりたたない話で、万物への配慮は常にビジネス活動の根底になければならない。商材もさることながら、この建物から加工機器、備品の一つ一つに至るまで細かな配慮が要求される。冷蔵庫のひとつが故障すると立て続けに他の機器にも問題が発生することは30年営業していて理解していることで、機器どうしの見えない繋がりが存在していることは明らかだ。問題が発生した場合、先ず全ての機器を再点検し洗浄もして、汗を流す具体的な配慮や行動が万物への愛であり主管となる。店の中であることは大きくは地球環境にもあるだろうし、環境破壊、環境汚染をそのままにしているけれども、このままでは地球規模の万物の反乱が立て続けに起こって当然だ。人間は霊界と地上界がひとつになるにつれて精神的影響がさらに顕著になるが、人間の下に位置する万物からも突き上げられて、人類の存続の為には人間の改革を避けては通れなくなる。万物の日の日曜日、家で啓拝を終えるとそのまま店に行き、フロアの清掃をすませ、名節の日はいつもそうしているように御供え物を準備して仮設祭壇に供える。御父様が聖和されてから尚一層祭祀行事が意味を為してくる。キッチンから遠目に見ていた御父様が寿司を頬張られる御様子がありありと再現される。御父様はこの店と共におられる。51回目の真の万物の日の朝だ。
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