2013年6月16日日曜日

今日の想い 578

1993年、済州島の女性修練会で語られた四大心情圏と三大王権のみ言葉は、神様自体内で成長してきた内容をアダムエバという神様の実体として展開される、創造への神様の意志を語られていて、創造原理の意志版だと思っている。しかし語られた書面を追っていくだけでは限界があり、何とも歯がゆい。図を描いて説明しておられるので、できればビデオに収められたものを見たいと思うのだが入手できない。添付の図と言葉とをタイアップしながら読み進めても、ここで、とか、こちらがこう近付くと、とか、示された動きを見ない限りはゲスの領域を越えられず、関連するみ言葉を二次三次的に探し出そうとしても、膨大なみ言葉から見つけ出さないと、と思うと途方に暮れる。やはりこういう場合は霊的感性をして霊的なみ言葉図書館で指し示してもらうしかないのだろう。しかしながら今の私の霊的感性では、指し示されるどころか図書館まで辿り着くことすらできない。敢えて言えば、霊的感性ではなく神霊的感性が要求される。食口は様々な次元(ヒエラルキー)存在の集まりだ。道徳的な者、良心的な者、霊的な者、更に神霊的な者。またそれぞれに知的な者、情的な者、意的な者がいて地上界という平面に投射されると、同じ言葉で遣り取りしても全く異なる次元、概念であるから話が噛み合わない。どちらかが下るか上がるかしなければ言葉の氾濫だけを招いて一体化は覚束ないだろう。み言葉の言葉の概念を私の中にあるものから取り出して宛がうと、み言葉に流れる真の生命も真の愛も受け取れない。本来言葉の概念さえもみ言葉の中から取り出さなければならない。だから理解していると思える私が捉えたみ言葉も仮定的なものであって、私の次元を高めなければ本当の理解には至らないという謙虚な気分、尋ね求める気分が常になければ、み言葉理解の正しい方向に向いてはいない。神様はみ言葉、すなわちロゴスであられ、その根源から真の愛、真の生命、真の血統が流れだす。夫婦として生殖器が交わる点は本宮、三大王宮であり、神様の愛の基地、神様の生命の基地、神様の血統の基地である。そうなると、み言葉は神様の性相の現れであり起点であり、夫婦一体の生殖器は神様の形状の現れであり起点であって、み言葉中心の夫婦一体圏は性相としても形状としても神様が住まわれ、そこを起点として展開され活動される。

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