2013年6月18日火曜日

再度、MUSTからWANTへ

自分の内なる世界の方が主体であり、外の世界が対象だという論理はわかるとしても、現実として外の世界を主体に位置付けて生活してしまっている。そしてそのことにいつまでも気付かないでいる。~しなければならないというMUST感情は、その感情をどれだけ強く膨らませてもその背後にはしたくないという否定感情がますます働く。これはより外の世界に主管されていて、すなわち外の世界が主体であって、本来主体の位置に立つべきより内なる世界の解放が為されない。先天時代に於いて、今までの献金摂理はそれで良かったのかも知れないが、時代圏が変わってしまった今、そのMUST感情、MUST意識を持ってしてはうまくいくはずがない。MUSTからWANTへ、、。これが内なる世界の主権奪還であり、願われる伝道であっても、氏族復帰であっても、南北統一祖国光復であっても、~したいというWANT感情に燃え、WANT意識に衝動として駆り出されなければ勝利は覚束ないだろう。実際我々よりはこの世の人たちの方が内なる世界を主体に位置付けて生きている場合が多い。もちろん内なる世界にも程度があって霊的世界という深みにまでは至っていないとしても、より内的な心魂を主体にして生きている人は意外に多い。ヒマラヤ越えをするアネハ鶴の精神を学ぶべき私達だが、80の肉体をしてヒマラヤ登頂を勝利した三浦雄一郎の方が、私よりは余程アネハ鶴の精神を学んでいるのかも知れない。彼は登頂成功に並々ならぬWANT感情を持った。糖尿も高血圧も持ち、さらに高齢で骨盤骨折までしながらも、それでも彼の目標へのWANT感情は失墜しなかった。それどころかますます高みの感情を抱いた。普通であればそんな状態での登頂成功という目標は無謀だと最初から諦める。彼の中にその感情はなかったのだろうか。否定的思いが次から次と襲ってきただろう。しかし彼は内的アベルである目標へのWANT感情をしっかりと立て、内的カインである否定的思いを屈服させて肉体的ハンディを克服していった。WANT感情は肉体ですら合わせていった。克服しなければならないという思いより克服したいという思いの方が遥かにその力を発揮する。

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