2013年6月5日水曜日

今日の想い 572

血統転換された私達は、何をしてサタンの堕落の血統から神の本質の血統に変えられた事実を認識していくのだろうか。どこまでも血統転換された私だと信じ続けることだけで、認識に至るものを受け取ることはできないのだろうか。私の中の明らかな変革を体験し、その内的霊的な変革がより外的な心魂作用に現れ、それが事情圏環境圏を変えて行く、霊から心魂へ、心魂から地上へ、不通が解消されて霊的事実が直接的に地上へ現れる、そんな時代圏に既に入っているはずだ。心情転換されて、自体自覚から他体自覚へとその霊的認識を私達が獲得しない限り、いつまで経っても信じ続ける以外なく、宗教を越えることはできないだろう。私達は、御父様、御父様と、御父様を呼ばわるだけの群れであってはならない。天に向かって御父様を呼ばわる私から、御父様を私の中に迎えて御父様が私をして生きて働かれる私になるべきだ。生きて働かれる御父様は闘われる。私の中で闘われる。心身一体の闘いをされ、夫婦一体の闘いをされ、父子一体の闘いをされる。闘いは文字通り闘いだ。剣を投げ込まれる。私の内的戦いが顕著になり、夫婦間の今まで触れなかった深みを浮き彫りにされて、本質的夫婦一体の闘いを見るだろうし、二世として立て三代圏の確立へ拍車をかけられる。教会という私の外の問題を傍観者的に見ているけれど、本当の戦いは私の中にある。他体自覚の心身一体が為され、他体自覚の夫婦一体が為され、そして他体自覚の父子一体が為される。この世的地上的な良き私、良き夫婦、良き親子は一端は剣を投げ込まれて焼き直されるだろう。それが御父様を私に迎える意味だろう。個人も家庭も氏族も、大改革、大手術が始まる。もちろん先ずは食口であり祝福家庭の話であって、それ以外の世界人類は我々の中心的摂理の内的経過を外的経過として為す術もなく見届け受け入れるしかないだろう。ここにきて関係性の中に闘いを厭み平安を思慕する食口は離れざるを得ない。それは心と体の闘いを無視する者に括られるからだ。

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