2013年6月18日火曜日

再度、MUSTからWANTへ (2)

私達は天宙統一という御父様の大命題を与えられて、それに向かうべく歩んできた。しかし見えて証しできる地上基盤がどれほど為されたかを問う時、伝道が進んで会員が爆発的に増えた訳でもなく、各界それぞれに多大な影響を及ぼす人材を輩出してきた訳でもなく、それどころか氏族圏の復帰、氏族圏への影響すらままならない状況は今も変わってはいない。今までの歩みのいつの時代であっても、これからは、これからは、という希望の人参をぶら下げてはきたが、内的霊的なことは置いておくとして、地上の人参は未だくわえてもいない。それは私達にとって大命題が余りにも漠然としていて、理想への現実感が希薄すぎて地上に足が着いていない状況にあるからだ。それが教会自体の様々な弊害、問題にもなっている。清貧指向、社会主義的平等意識、果ては共産主義的指弾等々、二世が教会の負の遺産の部分をも踏襲していくとなると、余程内的霊的に顕著な二世か、逆に生活力さえ欠ける二世かのどちらかしか残れなくなってしまう。未だに、地に足を付けて外的に成功し、この世の人達も羨む存在になることが信仰の妨げになったり、み旨に反する立場を取らざるを得ない、すなわち大命題から遠ざかるとするなら、地上基盤は遥か遠い未来にしか築けないだろう。伝道だ氏族復帰だと叫んでも進展するわけではなく、それよりか見せて誇れる生活、さらに与えて余りある生活を築いた方が人も氏族も寄って来る。ヤコブがエソウにしたように与えて屈服させれば余程こちらの方が現実的だし伝道、氏族復帰の近道でもある。過去の路程を否定しているのではない。御父様の聖和の精誠、御母様と御家庭の犠牲の精誠、兄弟姉妹たちの内的霊的精誠があればこそ基元節を越えてWANT感情、WANT意識をしてみ旨に直結できる時代圏を迎えることができたと捉えるべきだ。だからこそこれからは意識の180度転換が必要だ。相も変わらずMUST感情、MUST意識で、献金しなければならない、伝道しなければならないという意識のままでいるとなると、過去の或るひと時の貢献は報いられるとしても、時代の流れからは遠ざかって結果を残せないまま、その位置に固着して留まり続けるだろう。

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