10月から年末までゴッホ展をやっているというので、妻と二人でフィリップコレクションという美術館へ見に行ってきた。地下鉄で行くと、乗り換えなく30分で美術館近くのデュポンサークル駅につく。この駅の長い長いエスカレーターを昇って地上に出て、携帯で位置を確認して2ブロックほど歩く。右手に趣のある赤レンガ色の建物が現れ、これに違いないと建物に沿って右奥に移動すると入り口に辿り着いた。着いたのが11時手前だったが、次の観覧が11時だと言われて待ち時間も無く、そのまま三階の展示場に向かった。ゴッホはここアメリカでも人気らしい。品の良さそうな年を召したカップルが多かったが、平日の朝にも関わらずスーツ姿の若い人達も結構いた。いろんな美術館から集められたゴッホの絵は30点あまりだったが、やはりその中でも目を引いたのは最初の展示室に展示されていた「道路を直す人」だ。題名はそうだが、並木として配されている大きな数本の木が主役のようで、遠近に並べた大振りの木が向かって来るようで目を惹きつける。太い輪郭で踊るような幹振り、というのか枝振りと言えばいいのか、が強調されて、描写のタッチが今にも動きそうな生命力溢れる木を描き出している。美術には疎い私でも、ゴッホが、目に映らず魂に映るものを描きたいという強い彼の衝動をしてキャンパスに向かわせたのがわかる。美術家達がゴッホの絵をどう捉えているのかは知らないが、色彩は黄色系と青色系を主に使っており、描写は点描でも線描でもないその中間を用いて、魂に映る生き生きとした何かを描き出そうとしている。ゴッホの絵の中には、同じ構図、同じ景色で描いているが色彩やタッチが異なる複数の絵を作成しているものが数多くあるが、描こうとしているのが生命なのか、魂なのか、或いは更に深みの霊なのかを問いながら描いているので、同じ構図、同じ景色で何度も描くことに飽きることは無い。「道路を直す人」は壁を違えて2点並べて展示されていたが、一方は黄色系に強く傾き、もう一方は青色系を含めて描かれている。そしてどちらも、自然のものは点描でも線描でもない動きのある独特の描写で、人工的なものは素直で滑らかな描写で描かれている。ゴッホの絵を見た後で見る木々や自然の中に、目に映る色彩とは別の色を見ようとし、自然の静止に動きを見ようとする自分がいる。ゴッホの絵には夜の空を描いたものも多くあるが、闇夜でさえ動きのある生き生きとしたものとして描いている。それを見れば闇夜の中にも動く生き生きとしたものを見ようとする。唯物的な感性に支配され続けた現代人に、魂への気付き、霊への気付きを与えるという意味で、ゴッホは一人の画家としてみ旨への大きな役割を果たしたと思っている。奇怪な事件や、不審点もあるが銃による自殺や、他の才能ある者達と同じように彼もまた極めて悲運な生涯を送っている。それもまた犠牲であり、供犠であり、その当時、未だ悪霊の跋扈する心魂界や霊界への感性を持ったが故の、免れ得ない犠牲の結末となってしまった。
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