2013年11月4日月曜日

今日の想い 655

レストランビジネスに長い間関わって言えることは、私達のビジネスコンセプトの中に人材のリソース、それは人材教育も含めてのことだけれども、どこからどう人材を集めるかの戦略がない。店に人材募集の張り紙を張って、月に一人たずねて来るか来ないかを当てにして、どうして店の成長、発展が望めるだろうか。他でもないレストランというサービスビジネスは人の力に拠るところが最も大きいビジネスだ。民族も習慣も考え方も人により違うこのアメリカで、張り紙一枚でその店に適う良き人材が確保できるなど思うべきではない。殆どは使いものにならなかったり、店にとってマイナスな存在であったりする。雇ってはみたものの、いざ働くとなるとうまくいかない。それでマネージャーが店にとって益にはならないと判断しても、辞めさせるにも相当の配慮が必要になってくる。店がうまくいかない原因は様々だが、マネージャーを始め人材の問題が最も大きなネックになっていることは経営者誰もが認めるところだろう。立地よりも業態業種よりも何よりも、人材リソース、人材教育の戦略が立たなかったら、どんなに立派なレストラン構想を描いたとしても絵に描いた餅だ。30年近くレストラン業に携わっていながら、いつもそこには触れず、こんな店がいい、あんな店がいいと、目に見えるレストランの形だけを漁っているが、結局は金をすって終りとなるのは目に見えていた。何とも浅い、ただの思いつきを、宝でも掘り起こしたかのように上部に進言する気が知れない。進言する方も進言する方だが、頷いて受けた方も受けた方だ。形ありきで追い続けた惨憺たる結果を今まで見てきながら、それでも自覚できない我々の組織の無関心、無感情、無責任さの三無状態をどこまで見続ければいいのだろうか。公金、あるいは公的と言う概念の捉え方から間違っている。私的なお金に対する公金であり、私的に対する公的だ。私的なものへの関心、感情、責任意識がない者に、公的なものへの関心、感情、責任意識など育つはずがない。私の所有に対する重さが解からなくてどうして公的な所有に対する重さが理解できるだろうか。摂理だみ旨だと御題目を唱えながら、投げ入れてきた、そして垂れ流しにしてきた人材とお金の重さがどれ程のものか、そしてその恐ろしさを少しでも理解できる者であれば、言葉は慎重にならざるを得ない。未だに大風呂敷を広げる食口がおり、未だに何の躊躇もなくそれに乗っかる食口がいて、開いた口が塞がらない。

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