2013年11月19日火曜日

今日の想い 664 (トラかチキンか)

私の中には、未だ堕落の因縁を持つ性質、堕落性が潜んでいる。この堕落性が見分けやすく分別し易いなら問題はないのだが、創造本性に絡みつき染みついているから分別が難しい。人生に困難は付きもので、手を代え品を代えありとあらゆる困難、想像もしなかった困難が襲ってくる。困難に対する時は決戦場に立っているのであり、何と何の決戦かというと自分の中の神とサタンの決戦だ。普通は困難そのものがサタンだと思って困難を排除しようとする訳だけれども、困難を先ず試練として受け止めなければ、逃げてばかりいるなら自分の中のサタンを成敗することはできない。試練として受け止めるとは試練に身を晒す、先ず打たれることをよしとする出陣する自分を差出すことだ。打たれてこそ神とサタンに分別されるのであり、打たれることで思いもしなかった力が、知恵が、勇気が、私の中に湧き起こる。過去に国家間の戦争が起こり、人々は否が応でも生命の危険に晒された。その状況で何を学ぶかと言うと、どうせ生命の危険に晒されるなら戦いに臆病になってチキンで死に臨むのではなく、戦う意志を持ちトラで死に臨もうとする。戦時の状況で先ず彼らの中の内面の戦いが起こるのであり、その内的戦いでチキンかトラかの決着をつける。少なくとも私達の周辺には戦争のない平和な時代が流れていて、そこに安堵の気分を覚えるのだろうが、兵士達にはその内的な善の基準は問えないにしてもひとつの内的戦いに勝利した、敢えて言えば国の民族霊という神柱が立ち民族魂を受け取る歓びで満たされていた。どんな国であれ、それがサタン国家であっても、国の為に生命を捧げた英霊には敬意を表すべきであり、事実彼らの霊は高い位階にある。私達が生きて英霊の基準を越え、彼らの協助を得る為には彼らの内的戦い以上の内的戦いを甘んじて受ける私にならなければならない。どんな困難、戦いにも率先して私自身を差出すべきだ。そしてどんな表面的な困難、どんな現実の戦いも私の内なる戦いと直結している。そして内なる戦いに勝利することでこそ堕落性を解消できる。恐れ、慄(おのの)きの中にびっしりと堕落性が詰まっている。

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