「天地の度数を見ると、鉱物時代、それから植物時代、それから動物時代、それから人間時代、それから神様です。5数なのです。5数を中心としてこの4数です。四肢を通じた20数が私たち人間の20数です。男性、女性を合わせることによって40数です。40数を中心として定着するのです。」
鉱物は元素、植物は生命、動物は心魂、人間は自我(霊)の存在であり、人間は元素も生命も心魂も備わって更に自我(霊)の存在だ。本来、人間の四肢は霊的活動と直結しており即ち霊的四方(東西南北)と直結している。人間は立って歩く存在でありよって四肢は平面に固定されない立体的だが、動物は直立存在ではなく平面存在であって四肢は平面に固定されている。人間の心魂は霊に及ぶ活動となるが、動物の心魂は霊に及ぶのではなく生命活動としての本能的なものに留まっている。御父様が東西南北という話をされる場合、霊的な方位でありそれは心情によって開かれる方位だと言える。霊的方位、東西南北は四大心情圏のことであり心情世界の広がりが霊界の広がりを意味している。霊的活動と直結している人間の四肢は何が指示命令を与えるのか、どう働かせるのかによって人間がどの次元で生きるのかを決定している。5×4で20数ということは元素の次元で働かせる四肢があり、生命の次元で働かせる四肢があり、心魂の次元で働かせる四肢があり、霊の次元で働かせる四肢があり、そして神様の次元で働かせる四肢がある。「4×4は16と東西南北の4を足せば20です。20個なのです。手足を合わせれば20個です。」とあるが、人間が四大心情圏を自由に往来する四肢を持ち合わせているかというと、確かに父母の愛、夫婦の愛、子女の愛、兄弟の愛のそれぞれの概念は持ち合わせているけれども、その概念が普遍的な四大心情までには至っていない。よって16数存在ではあっても東西南北の4数が未だ欠けている。数理を言うならこの4数復帰であり、霊が神霊に及んで神様の四肢を取り戻す為の心情復帰に心血をそそいで来たのが私達の歩みだったとも言える。
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