2013年11月15日金曜日

今日の想い 661

いつの時代もカインとアベルに分けられて復帰摂理は進められてきた。復帰で分けられたカインアベルは善と悪だけれども、復帰という再創造が為されて進化への更なる創造が始まれば、善と悪ではなく、明と暗に分けられて創造が為されていく。堕落する以前の創造過程に於いて全てが善であったように、それは光が善、生じる影が悪とは言えないからだ。栄光を受け取る者には形のない未来を形にしていく開拓を引き受ける責任があるだろうし、栄光の陰に愛の減少感を受け取る者には過去の犠牲によって培われた地上の成果に保護される恩恵がある。カインはアベルを殺してしまい、アベルが引き受けるはずであった人類救済摂理を崩してしまったが、神様はカインを完全否定するのではなく、保護されることを約束された。私達には家庭の理想があり、国家の理想、世界の理想もあるけれども、理想を形にする為には、理想イメージという張りぼてを尽く否定され壊されながらも、それでも理想追求に心魂を捧げることで本当の理想になり本当の形になっていく。祝福家庭としてのイメージがあり祝福子女としてのイメージがあるけれども、そのイメージが天の理想そのものではなくて理想イメージに過ぎないと思うべきだ。だから壊されて当たり前で壊されてからが本当の理想追求の道だろう。祝福を受けて理想家庭だと思い込みながらも、夫婦間の葛藤、生活困窮や親兄弟とのわだかまり、子供が祝福を素直に受けない、等々あらゆる問題があって理想のイメージは壊されていく。それは私達下々の者だけではなく、勝利された真の家庭を見ても様々な理想のイメージは壊されていく。しかしそれはイメージだ。現実というイメージであって現実によって本当の理想が壊されるならそれこそサタンの思う壺だろう。理想を形にすべきだけれども、私達の理想イメージに過ぎない張りぼてを本当の理想だと追い求めても意味がない。私達が本当の理想だと思っていたものは、実は堕落の私が発想する理想イメージに過ぎないと言えるものが多々ある。だからと言って全てが偽りで、全て投げ出してしまえばいいというようなものでもない。御父様の理想を完全に理解して、それから形にしていくものではなく、現実に生きながら、そして現実の中から本当の理想を探し求めていく姿勢が、内的霊的なものを主体にし、さらに内的霊的な中心に御父様が立っておられると言える歩みだろう。現実から本当の理想を探し当て、本当の理想を形にしていく過程で、どれ程の叡智が私の中に投入されるだろうか。生きた神霊の叡智が私を通して働くだろうか。

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