2013年11月29日金曜日

今日の想い 667

いつもの感謝祭なら、スーパーで小さめのターキーを選んで持ち帰り、妻がオーブンで料理する。小さなアパートだからにおいと共に煙の回りも早く、気を許せばアラームがけたたましく鳴り始める。そんなジタバタ騒ぎも、感謝祭を祝う毎年の恒例だったが、今年の感謝祭は白い部屋に妻は横たわり、その隣で彼女の様子とモニターの数値を交互に見ながら、感謝すべきこの日を送っている。ニューヨークで働いている息子も昼過ぎには帰ってきて、ピックアップしたその足でボルチモアの病院に向かった。勿論娘も同乗させ、久々に家族四人が集まったわけだが、横たわった彼女の周りを三人で囲むという、今までに経験したことのない感謝祭の顔合わせになってしまった。妻は虚ろな目で息子や娘を一通り見まわし、一言、力ない声をかけると、苦痛に歪んだ顔をベッドに埋めた。後は日が暮れるまで、無言の時間をひたすら共有しただけだった。6時を回ってしっかり日が暮れると、子供には家に帰るように伝えて、私だけ付き添いで残ることにした。子供を返したあと、妻の顔を見ながら、言い知れぬ寂しさが込み上げてきた。苦しんでいる彼女に代わってやることもできなければ何もしてやれない。妻を私が見捨てたようで、私は護って戴いている天使や聖霊から見捨てられたようで、悲しく寂しかった。彼女は苦痛と息苦しさで寝付けなかったが、直ぐに覚めるであろう浅い眠りに着いたその隙に、パソコンを取り出してキイを叩くことで何とか自分を落ち着かせようとした。妻に不安な表情は見せたくなかった。でも文字を並べていくと、抑えきれない感情が溢れだして、流れるものをどうしても禁じ得ない。それでも感情を涙に代えることで、幾分落ち着くことができた。その僅かな事でも感謝できれば、それはそれで私の感謝祭だ。妻に代わって、そして目を覆いたい母の状態を目の当たりにしさぞ落ち込んだであろう息子と娘に代わって、家族の感謝祭を私の涙で供えることができた。

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