2013年11月8日金曜日

今日の想い 658

突然だけれども、姉妹たちは恋したことがあるだろうか。狂おしいほどの恋慕に身を焼き焦がしたことがあるだろうか。恋することで、見るもの聞くもの触れるもの全てが、血沸き肉躍るほどの高揚感に酔うそんな感情を生きたことがあるだろうか。或いは叶わぬ想いに身を削り、些細な喜びも楽しみも平安も感じられないほど魂を丸ごと抜き取られ、埋まらない寂寥感を抱えたことがあるだろうか。私達にとって恋愛はもちろん御法度だ。「みんな手紙の一つでも出したことがあるだろう。御父様は気持ち悪いや。」と、耳を傾ける姉妹達を眺めながら仰ったことがあるけれども、それが恋愛感情そのものが悪いと言っておられるのか、慕う相手が間違っているだろうと言っておられるのか、どちらだろうか。私は後者だと思っていて、想いを寄せる相手が正しいなら身を焼き焦がすほどの感情を味わうべきだと思っている。想いを寄せる正しい相手とは姉妹達にとっては御父様だ。姉妹達は夫の天使長の位置での蕩減期間を経て、夫に向かう想いもあるけれども、基本御父様へ向かうべきだ。この道は姉妹達にとっては御父様をどこまでも慕う恋の道でもあり、兄弟達にとっては御父様にどこまでも忠誠を誓う極道の道でもある。一世にとっては特にそうだ。この世の人々に、人生の最も色溢れて高揚する場面はと聞いたなら、青春時代の恋が芽生え恋に生きる場面を思い浮かべるだろう。その、この世の感情の高揚を凌駕する、心情に通じるほどの生を食口達は生きるべきだろう。しかし全てを否定して御父様を通過しなければならない復帰されるべき私達とは異なり、子女様の歩みはそれとは異なる歩みであって、私達の基準で測れないものがある。もし忠孝烈の烈の魂、春香の哀切な愛と志躁が女性の中で燃えるなら、その女性が、忠誠を立てる自分、孝行を立てる自分をも説得して烈の魂に殉ずる自分を生きるとして、それはそれで真の愛に生きる意志を差出したとは言えないだろうか。

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