2013年11月21日木曜日

昼と夜

私達が昼夜と言う場合、昼の意識(目覚めている意識)で夜を眺める、すなわち夜の一面だけを捉えて夜の概念を得ている。交互にやってくると思っている昼と夜の関係の夜は、昼夜を平面的認識に無理矢理押し込んだ夜の概念と言えるだろう。夜があって昼があるのであり、夜の中から昼が生まれるのであり、昼から夜になるのではなく昼から夜に移行するときの昼は砕け散る。どれほど太陽と地球の関係で説明する昼夜を絶対視したところで、そこから本当の昼の概念、本当の夜の概念は導き出せない。ちょうど、この外界宇宙を創造した創造主としての創造神を神の概念として捉えても、人格神、親としての神様、心情の神様の概念を導き出せないのと同じことだ。創造神は神様の一面であって一面だけで捉えると神様の認識は間違ったものとなる。昼の意識で捉える夜も夜の一面であって一面だけで捉えると夜の認識は間違ったものとなる。ここで言わんとするところの夜の概念が捉えられないと霊界がわからない。地上界から探り見ようとする霊界は霊界の一面であり霊界の本当の認識には程遠い。サタンに見事なまでに洗脳されてしまった物質中心主義、唯物主義の堕落人間は、それを否定する宗教人までもがやはり唯物主義的な発想や思考を宗教に持ち込み毒されている。賢さの点では真にサタンアッパレと言ったところだ。私達は今、昼の意識から夜の意識への目覚めが大潮の時を迎えるように為されつつある。霊への目覚め、霊界認識への目覚めだ。その目覚めが為されるにつれ、夜の神様、昼の神様の意味もわかるようになり、認識も持てるようになるはずだ。唯物的思考に毒された現代人のままで夜昼の神様を解くことはできない。創造主という神様の一面だけの捉え方が、私の主体である内的霊的なものへの影響が及ばないように、昼の意識から捉える夜という夜の一面だけの捉え方では、昼を生み出す、すなわち実体圏を生み出す夜という、夜の本質を捉えられないし夜の深淵を見ることも無い。実体圏創造の為のあらゆる素材が夜の深淵の底に眠ったままでいる。

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