2014年6月22日日曜日

今日の想い 757

天国は家庭がその基台にある。確かにその通りだ。その思いがあるから今の自分の家庭状況が優先的な現実問題としてある。人情に立てば当然で、夫婦円満でありたいし、子供には信仰を持って欲しいし祝福も受けて欲しい。理想的な祝福家庭でありたい。しかし現実は過酷だ。自分の思う理想の通りに事は運ばない。天国とは程遠いところに自分の現実、家庭の現実がある。夫婦円満になれる道を模索したい。子供が信仰が立ち祝福を受けてくれるように躍起になってしまう。それは最優先事項で、祝福理想家庭としてそれなりの基準にならない限り、摂理だと言われても、あるいは摂理だと思っても、そこに完全投入できなくなる。それはそれなりに理解できる。人情として理解できるが果たして御父母様は理解されるだろうか。家庭の問題があるなら、食口が摂理に対して完全投入できないのは仕方ないと思っておられるだろうか。御父母様の御家庭には更に大きな現実の問題があることは食口の誰もが知っている。引っ掛かっているその問題が解決されなければ摂理には向き合えない、御母様はそのように思って摂理に対して一歩引かれているだろうか。御父様もそうだったけれども御母様も全く逆で、御家庭の問題の認識すらないと思えるほど摂理に対して完全投入しておられる。おそらく祝福家庭である私達の試練はここにある。家庭の事を最優先して摂理に対して献身的に向き合えないという問題だ。家庭の問題は放って置けと言われたことは勿論ない。だからそれはそれで抱えながら、御父母様の願われる摂理への責任も抱える。だから私達は、問題を解決して欲しいと祈るのではなく、問題は私が解決しますからそんなことは心配しないで下さいと祈るのが筋だろう。ある分派の教えによって夫婦の問題が解決したとか、子供達が見違えるように変わったとか、中には健康さえも取り戻したと言うのもある。それでみ旨に前向きになれるのであれば受け入れて当然だと、これこそ神様の計らいだと思うのかも知れない。統一食口の正道は御父母様がそうであられるように犠牲の道をどこまでもいくのが正道だ。個人でも家庭でも、歴史時代を越えて、御父母様と共に新しい歴史の創造に加わるならサタンの誘惑を切って捨てなければならない。その試練は統一食口としての或る覚悟が要求される。死生決断だ。私がボロボロになろうとも、私の家庭が犠牲になるとしても、それでも笑って摂理の願いに邁進する。その決意と覚悟だ。

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