2014年6月3日火曜日

今日の想い 750

万民が御父母様に侍ることができるように、その体制づくりが必要であることを述べた。しかし我々の願われる基準をして万民が侍ることができるようになるには時間を要する。み言葉が入って御父母様を受け入れれば、次元を一気に駆け上って侍る位置に立ちやすいのはそうだが、個性が尊ばれる時代背景にある万民は、終末がいつ訪れるのかも様々であり、こちらから終末を持って行って押し売りできる状況にはない。そうなると裾野を目一杯広げて何らかの御父母様に繋がる因縁圏に取り込むことが最善だろうし、それにはビジネスという生活密着のところから因縁圏を造って繋げることが必要だろう。よってビジネス摂理は広義での伝道、伝道の為の伝道基台摂理と言ってもいいかも知れない。レストラン摂理は魚を扱う海洋水産摂理の一環であり、それと同時に献金摂理にも加担できるという認識が担当者の中にあるはずだが、御父様のレストラン摂理としての願いの中に、要人への接待も含めて伝道の為の基台摂理的願いが込められていたことも認識する必要がある。よってビジネス展開がこの世的なものに、すなわち利益の追求に第一義的な動機を置くのではなく、万民が御父母様に繋がる因縁圏の拡大に動機を置けば儲け主義に堕することは無く、天の運勢圏の中で発展していくはずだ。既に何回も触れていることだが、レストラン教会と銘打って出発したからには、ここに真の父母からくる真の愛があることを無意識的にも感じ取らせることができるものを準備すべきだ。レストランはサービス業であって、物が売りの主体ではなくサービスという人のもてなしが売りのビジネスだ。もてなしは愛でもてなすのであり、その意味では繋がった客は物の関係ではなく愛の関係で繋がっている。もちろん怪しい愛の関係だとサタンが主管してしまうが、ここには他とは異なる知らなかった愛があると思える店創り、何かしらの畏敬の思いに駆られる店創りができれば霊的協助を得て展開できるはずだ。今までレストランビジネスに携わってきて、ビジネス摂理として御父母様の願いに応える在り方を模索し続けてきたが、私の精誠足りず、未だ精誠の器を満たして溢れ出る結果を見るには至っていない。御母様がいつまで地上におられるかはわからないと仰るように、私達も若くは無い年で、いつまで現役でレストランビジネスに関わられるかはわからない。二世や若い世代に引き継ごうと焦っても見るが思うようにはいかない。100近くもあった店が欠けていって、数少ない店が風前の灯の如く営業している実情に対して、希望を見出せと言う方がおかしいだろう。しかし諦めてしまえばそこで全てが終わる。おそらく摂理的願いがあるという御父様の霊も立ち去ってしまうだろう。レストラン創りは次元を落とし裾野を広げての教会創りであり神殿創りだ。多くの客がレストラン詣でをしながら御父母様への因縁圏に入っていく。そこまでの見通しは立っているものの、そこから地の形にしていく為の触媒内容が未だ見つからない。それが見つかることで霊的な宝の鉱脈が実体化した宝の鉱脈になる。

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