2014年6月30日月曜日

今日の想い 760

霊界の死が地上界への誕生であり、地上界の死が霊界への誕生だ。原理は輪廻説を否定する立場を取っているから、霊界で死を迎えて地上存在になるという言い方はおかしいかも知れない。しかしはっきりと霊界から地上に生まれたという言い方を御父様はされたことがある。しかしその記述がみ言葉の何処にあるのか定かではないのだが、、。一般的に理解されている輪廻説を肯定してしまうと、餓鬼になったり畜生になったりと、行いによって人間以下にされるという私を裁く存在を肯定することになり、真の愛の神様であることを否定するか、あるいは善悪二神論を肯定することになる。魂が完成するまで六道を巡り巡っていく宿命的な心魂であるなら、そこに人間の自由性はなく原理で説明される地上での蕩減も責任分担も宿命に圧されてほぼ意味を持たなくなる。私が思うに、輪廻説は霊(精神性と言った方が誤解を産まないかも知れない)の認識のない、霊人体が霊的形すら見ない地上人間を、霊形体以上への成長を願われて心魂の限定的事実をして教育する段階的真理だと思っている。しかしより内外の知を得た者に対する新しい輪廻説が説かれるべきで、それを原理で言うなら協助で説明できると思っている。私達は宿命的なものを抱えて地上に生まれていることは事実だ。男性として生まれたか女性として生まれたかもそうであり、堕落の血統圏から生まれた事実もそうだ。ようするに既に蕩減すべきものや責任分担としての使命的内容を抱えて生まれている。それは血統を通して受け取るものであるけれども、外的血統を通して受け取る蕩減すべきものの他に内的霊的血統を通して受け取る使命的な責任分担がある。協助は先祖の協助で得る蕩減的な協助と、過去の精神開拓者の協助で得る責任分担的な協助がある。イエス様の大きな使命は背後に内的霊的血統としての仏陀の協助と、ゾロアスター教の創始者の協助が二大協助としてある期間活動している。御父様の使命にはイエス様の協助がある期間活動していたことは容易に理解できるし、イエス様の協助を得ていることは二大協助も得ていることになる。御父様が血統という言葉を使われる場合、外的血統ではなく内的霊的血統として使われる場合が多く、それを理解しないと、協助は先祖からと思ったり、協助は蕩減的なものの解決だと思ったり、さらには苦労するのも、思うようにいかないのも、協助を得られないからだという発想になる。事実は御父様の願いに生き摂理を担当する以上、神の願いに生きた精神開拓者の協助を得ているから苦労するのであり思うようにはいかない。外的にはうまくいかないとしても、内的霊的協助を得ることで外的な苦労を消化して余り得る力を得ている。それは霊形体にもならない霊人体が形を持ちたいと、六道を巡り巡って呻吟する心魂とは比べ物にならないステージに立っている。私達は心情に於いて御父様と一つになり、そこから芽生える霊的感性からあらゆる霊的事実を認識できるようになる。教会の外的な現実、御家庭の外的な現実のみをどうこう言う前に私が御父様とどれだけ一つになっているか、御心情を相続しているかが重要であり、一つにもなれず心情も相続されず、よって霊的事実も知らないままの自分をして批判したり判断したりするのは間違っている。

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