2014年6月20日金曜日

今日の想い 755

地上で平面的にのみ移動するように、ただ流れる毎日を送るだけでは地上生活は内的にも平面に留まってしまう。この平面的な地上生活で何を積み重ねれば縦的な神様に届くのか。それを積み重ねることで縦的に昇り縦的な神様に近付ける何かとは何だろうか。人間は地上では翼を持っていない。翼を持たない肉体の意味は、汗と涙による何かを積み上げることで塔は内的に築かれ、天に近付くことができるように思う。かつてレンガを積み重ねて塔を築き上げ、天に昇って神に近付こう(意識の次元を上げよう)とした者がいる。バベルの塔のニムロデだ。意識の次元を上げて辿り着く世界は本来心情世界であるはずが、堕落した人間達が一つになってレンガを積み上げるという、サタンを中心として一体化することで神の完全不在の意識世界が為されようとした。それで主は下り、堕落人間が一つになれないように言語の混乱を引き起こさせた。そうしてお互いの意思疎通が為せないことで一つになれず、サタンを中心とする意識世界の創造は果たせなかった。人間の霊人体が住む霊界環境とは何だろうか。愛で呼吸し愛の四方性や愛の上下位置が決定されて霊界の時空が現れる。愛の上下関係、すなわち父子の愛の柱を立てない限り、住む霊界の家としての霊界天幕(環境)は現れない。人間は精誠の塔を築く以外に意識の次元を上げることはできない。霊的には柱が立たず霊的存在空間が現れない。もし私達が、全体的には地上天国実現、個体的には神人一体理想を、翼の羽ばたきで到達するかのように、或いはレンガを積み重ねること(例えば日にちを送るだけとか、お金を捧げ続けることだけとか)で到達するかのように思っているなら、それは大きな間違いだ。私達には確実に供え届けるべき何か、地上的に積み上げるのではなく与え続けて内的に積み上げるべき何かがあるはずだ。それこそが精誠だ。それは地上だけのことを考えるなら、形にならない虚しいものに映るかも知れないが、霊的には確実に精誠の塔として築き上げられるはずだ。精誠の柱が立つはずだ。心情は心情でしか誘発されない。霊界が愛で満ちる心情世界であるなら、地上生活でどれほど精誠の宝の山を積み上げるかで霊界環境は変わってくるはずだ。心情を込めた精誠こそが天の計らいを誘発する。

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