2008年5月19日月曜日

代身という意味

自分はみ旨の一端を担い歩んでいるという自覚があるだろうか。自分の与えられた責任や業務に対して聖業を為しているという実感があるだろうか。自分の手にかかるものがお父様が手に掛けているという感覚があるだろうか。仕事であれ何であれ自分を一生懸命投入しながら、それはお父様が投入しておられる、与え尽くそうとしておられる、という想いがあるだろうか。自分に掛けられる従業員やお客様の言葉や想いがお父様に掛けられたものであるという認識があるだろうか。喜怒哀楽さえもそれが自分の個人的なものなのか、あるいはお父様が受け取る喜怒哀楽なのかの区別がわかるだろうか。我々はお父様の手足のみならず、お父様の代身をも超えた、お父様自身を自分の中に視なければならない。そういう境地なり意識なりとなって初めてお父様はこの身を通して働いておられると言う事が出来る。信仰を超えた、侍ることの意味を知ることが出来る。献身してそう月日は経っていない頃、一人の兄弟とある商店街に立って活動していた。誰かが通報したのだろう。二、三人来て最寄の署に連れて行かれた。何のことやらさっぱり解らず理由を問い、抵抗もしたが半分羽交い絞めでしょっ引かれた。署につくと奥にやられ、ふたりは分けられ立たされたまま尋問を受けた。訳のわからないことを聞かれても答え様が無い。その内、頭を垂れて黙るしかなかった。衝立の向こう側にいる兄弟の方からドスンドスンと鈍い音が届く。それに合わせて鼻から漏れる呻きが鈍い音に被さる。最初は様子が掴めず、本人が机でも叩きながらすすり泣きを始めたのかと思った。顔は厳ついが幾分天然ボケの優しい兄弟だった。自分の鼻先まで接近した光沢のある顔の目の奥を覗いたとき、危険を察した。兄弟は下腹を小突かれて呻いているのだとその時分かった。反射的に身体を硬くして身構えた。それを待っていたように、相手の動きを認め、無機質な顔面を鼻の先に見ながら下腹に二、三度痛みが走った。驚きに顔を歪めながら涙が流れてきた。痛いのではない。今自分に向けて相手から理由のない仕打ちを受けている、その事が悲しかった。献身して間もない頃で、尊いみ旨を担い歩んでいるという誇りがあった。その誇りを地べたに叩きつけられた思いがした。程なく署に電話連絡があったようで開放された。帰る道すがら、兄弟は事が済んだことを素直に喜んでいたが自分は複雑だった。誇りを抱き使命に燃えていた自分から、嘘のように一瞬で魂が抜け出た。高潔な想いからの出発ではなく、自分を人間以下におとしめる立場からの再出発を要求されていることは分かった。汚い、惨め、誰からも理解されない、そのような否定的な事柄全てを背負わされた自分を認めざるを得なかった。それがどういう意味かその当時理解できなかった。今でこそお父様の心情路程のほんの一端を味わうことができたと理解できる。

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