2008年5月8日木曜日

無常に対する姿勢 その二

この世は全てが移り変わっている。誰もが年を取り身体は朽ち果てる。国も破れ社会も変わる。自然万物も移り変わらないものは何一つ無い。この移り変わり行く世に生を受けたことの意味は正にそのまま、移り変わりに自分を任すことを選んだということ。子供の時の時間の流れと今の時間の流れは明らかに違う。時代が進めば進むほどこの世はめまぐるしく移り変わる。移り変わる世に翻弄され流されるままに任せていて、変わらない本質は経験できない。経験するとは動かないもの変わらないものを自分の中に得ること。流されるままに任せて何も掴まなかったらそれは経験したとは言えない。移り変わる、そこに意志が働いていることを忘れている。走る車は動くことそれ自体が目的ではない。目的地に着くという意志があって動いている。何の方向性もなく移り変わっているようだが何処に向かっているかを見据えることで、流されているのではなく向かっているのであり、確かな目的地があってそこに向かって動いていることを認識する必要がある。年を取ってしまったのではなく、年を取ろうとして今に至り更に年を重ねて行きたいという意志があること。年を取ることで肉体的欲求に翻弄されずより精神的霊的要求に自己を向けようとする意志を視る必要がある。一瞬一瞬の未来に対処しているのではなく、意志を持って動かし創っている。こうなったのではなくこうしたのであり、どうなるのだろうではなく、見えない心魂の奥にある意志をもってこうする。表面的な肉体や感情に関与する世間一般の理解する意志ではなく、心魂に繋がる本質の意志を見なければならない。回りくどく説明する必要は本来はない。簡単に言うと神様に繋がり、神様の意志を見ると言うこと。自分のように回りくどい説明が必要な内なる思考が石のように硬い者もいる。

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