2008年5月18日日曜日

地球霊化

今の人類は肉体という覆いで覆われているため、その内面を表面的肉体に見ることはできない。行動や表情を通して内面を垣間見ることは出来たとしても、極悪人と聖人を並べても外的判断でどちらがどうかを言い当てることは出来ないだろう。しかし内面の様相が身体に明らかな形で表れる時代が遠からず来る。それは単に表情が怖いだとか厳ついだとかと言う類ではなく、例えば角が生えてくるだとか、動物の顔になるだとか、そういう明らかに様相を異にする存在に分かれる。昔子供の頃、食べて直ぐ横になると牛になるだとか良く言われたものだが、まんざら嘘でもない。今の学校教育は進化論を何の疑いもなく教えているが、神の創造の意思を無視した論理付けは、どんなに理屈を付けようとも矛盾点はいくらでも指摘できる。矛盾点を見ようとしない背景に唯物論との関係がある。進化論は唯物信仰を貫くために利用されたに過ぎない。しかし、進化という言葉を神の創造の段階を示す言葉として使うなら、それは正しい。人類の始祖はアダムとエバではあるけれど一人の男性と一人の女性が急にひょこり現れた訳ではない。ひょこり現れたような記述をするから科学がここまで発達した今現在、多くの誤解を招く。人間としての本質からすればどうでもいいようなことではあるが、どうでもいいようなことに捕らわれて低次元の肉の思いに没頭するように仕向けられている。肉に没頭して本質が見えない、五感を超えた霊界や自分の霊の様相が見えない。現在、宇宙規模の大変化の途上にある。地球もその在り方として大きな変容を遂げる。簡単に言うと地球は霊化する。勿論地球に籍を置くあらゆる存在もそれに合わせて霊化していく。この身体が肉の在り様から霊化した在り様に変わってくる。自我の在り様、魂の在り様が身体にそのまま表れてくる。唯物信仰に侵された者は肉第一主義の自我の在り様が表面化する。彼らに取ってそういった内面の在り様が霊化するとは獣化すると捉えたほうがよい。角が生えてくると捉えたほうが良い。羊か山羊かではなく、人間か獣かに分けられる時が来る。人間もその魂の在り様で位が分かれる在り様をするだろうし、獣化するものもいろんな獣の在り様をする。最近、これが人間かと思うような犯罪を犯し、本人は何食わぬ顔をしていたりするが、そういった類は唯物信仰を超え、そういう思考感情さえも動物本能に追いやられた獣の様相が霊的に見て取れる。霊化すればその様相がそのまま身体に表れる。キリスト信仰による愛に目覚め、更に真の父母を通して高められた真の愛に侍ることに内面を染めつくした者は白い衣を羽織る身体に霊化する。

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