2008年5月5日月曜日

ある兄弟の証し

久しぶりに説教らしい説教を受けた。一人の国際祝福を受けた日本人兄弟の説教だった。一般に言われる内に障害を持った子供を授けられ、彼を育ててゆく過程に於いて悲喜こもごもの内的経験を中心とした話で、子供について相対者について家族について、理解していないみ言葉の押し付けでない無理の無い自然な形だか本質に通じる智慧の多くを学び取ることが出来た。そこに至るまでの自分の中での葛藤や戦い責め、そして何故自分にと天に問い続けた日々が少なからずあったことは容易に推測できる。前に一度、子供の接し方のことで彼に相談したことがある。結局は親の姿勢が総てを決めることは解っていながら、子につける何か特別な薬は無いものかと、今考えればあまりにも恥ずかしい相談だった。彼にしてみれば親としての自覚が無い、甘え以外何物でもないということを見透かしていたと思う。そういう相談自体、彼に持っていくべきではなかったと本当に申し訳なく思った。彼と相対者、そして家庭の味わってきた辛苦は自分なりにイメージは出来る。しかしその逃れられない感情の数々を魂の中にずっしりと重く抱えながら先の見えない一瞬一瞬を踏み出していく覚悟は本人でしか理解できない。彼の見た感じは飄々として悩みなど感じさせないため何を考えているんだろうと思ったこともあるが、その内面を垣間見たあとはこの兄弟に対して自分は頭が上がらないと思った。しかし彼は明らかに、その環境故に父母様の心情圏に直接入っていけるだろうし目に見える形で天に宝を積んでいる。そしてそれ故にこの兄弟に対して尊敬もし礼も尽くしたい。

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