2008年5月6日火曜日

神とサタンの戦い

最近ネットを通してアメリカに居ながらにして日本のテレビが見れるようになった。便利な世の中になった。モニターに映し出される日本の同時映像は14インチ位の画面なら遜色は無い。今日もCMはいろんな形で笑顔と幸せのオンパレードを繰り広げる。そこに人間としての苦悩や叫びは微塵も匂わさない。それを映像を通して日がな受け取ることで知らずと洗脳されている。その幸せそうな笑顔に騙されて本質を見失い、映像の影を自分の現実と混同し、浮かれて生きることだけに没頭する。どんなに悲惨な事件もモニターを通せば唯の話。四角いフレームで仕切られて届けばそこは劇場。情報は確かに垂れ流しだが総ては他人事というフィルターが掛かって届く。画面を通して受け取るものの中に本質はない。唯の風景画像でもその画像を撮った人物の主観が入っている。撮影枠を外れた景色は勿論届かないし更に音声で脚色される。如何様にも視聴者を持って行きたい所に誘導できる。便利な世の中は悪の繁殖をするにおいても便利なのだ。勿論摂理上ここまでの科学発展が為されてきた。神の側からしても伝えたい事柄が一瞬にして地球を一周し人類に周知させることが出来るかも知れないが、サタンの側も悪の繁殖は一瞬で事足りる。この目には見えずとも、激しい攻防戦がそれぞれ個人の中で社会の中で国や世界の中で霊的次元に於いて繰り広げられている。その自覚を持って全てに向き合うべきだ。メディアを完全にシャットアウトするわけにはいかないが受け取るものに無防備に自分を曝け出すべきではない。身体は硬く服をまとっていても、魂が全裸の状態で弄ばれていることに気付く者は少ない。

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