2008年5月7日水曜日

水沢里で その二

不覚にも寝てしまった。聖歌を皆で賛美したり先生方のお話を聞いたりして内的準備を整えていた時だ。どの程度無意識だったのか解らない。けっこうな時間が過ぎたようだがほんの一瞬の事だった。姿を現される直前にこの事が起こり、無意識から意識圏に再度送り出された。一瞬の戸惑いはあったが状況を瞬時に把握すると、周りで大きな拍手が巻き起こった。意識を立て直して拍手をすると御父様は登壇された。初めての実体の御父様との出会いがこの唐突な状況下で為された。内的に準備に準備を重ねてきたつもりが何の意味もなさないのかと悔いの気持ちもあったが、しかしお父様に対する何の思惑や固定された観念も吹き飛び、ある意味まっさらな状態で内なる眼にお父様の存在を認めることができた。この御方に出会う為に今の自分が在り、脈々と流れて今に至った歴史やら、背後にある数え切れない霊達の結実としてこの場に自分が在る。しかし当時そこまでの認識は意識上は把握してはいなかった。自分という存在と意思を超えたところでこの状況が設定されたのだということは、後になって思えた。自分でも良く説明できないが、自分の中で自分とは別の期待感として込み上げるものが沸いて来た。会場はおそらく古い学び舎だと思う。校庭らしき広場に青いビニールシートが敷かれ男女が相対するように向き合っていた。極度の緊張感と整然とした静けさの中にも、何か沸き立つ期待の熱気が溢れていた。御父様は男女に分けられた中間線を行き来しながらお話された。緊張のその場を和らげようとされたのか誰かを指名して歌を歌わせたりされた。始めるためのお祈りをされるでもなく組み合わせを唐突に始められた。何組決められただろうか、ほとんど始まって間もなく自分が所属する部署に声を掛けられ出るように指示された。自分を含む7~8名が前に出て並び、一通り見渡されるとこんどは女性の一群を見渡され次々と指名されていく。直ぐにも自分の番となった。暫く細い眼でご覧になられると振り返って奥の最後列に位置する二人を立たせられた。その内のひとりを呼び寄せ年齢を聞かれる。交互に自分と相手を見ておられたが、まあいいだろう、と一言口にされ次の組み合わせに進まれた。事はあっけなく終わった。本当にあっけなかった。係りの先生方に促されてその場を引き、続けておられる御父様に向かってふたりで啓拝を捧げた。隣に添うて歩く相対者に戸惑いながらも空の青さに気付き、秋日で柔らかくなった空気を思いっきり吸った。今までの歩みに区切りがつけられ、新しい出発がその時為されたことを感じた。あれから25年を超える月日が経つ。こちらに来てお食事をお出ししたときに御父母様に向かって二人で啓拝を捧げて顔を上げると、お父様は我々を見ながら兄弟のようだねとお母様に言っておられた。組み合わせの時まあいいだろうと言う言葉が、悪い意味ではないにしても多少引っかかるものとして自分の中にずっとあった。それが年齢のことなのか相性のことなのか口にされたその意味を図りかねていた。その言葉が兄弟のようだと言う言葉に取って代えられて自分の中でひとつ完結した。

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